2012-01-01から1年間の記事一覧

原爆投下は予告されていたのか

陰謀論は本当か。 昭和20年(1945年)7月28日、四機のB24コンソリデーテッドが呉を空襲し、うち二機が広島上空に飛来しました。双葉山の高射砲陣地が火を吹き、2機を撃墜しました。1機は五日市と井口の中間辺りに墜落しました。警防団がパラシ…

猟奇の惨殺劇、通州事件

嗚呼、通州。抹殺された歴史。 昭和12年(1937年)7月29日、通州で大虐殺事件が発生しました。通州の冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)は親日的政権でしたが、この政権の保安隊は国民党の息のかかった冀察(きさつ)第二十九軍軍長・…

「もったいない(Mottainai)」から木を乱伐しなかった江戸文明

緑豊かな日本列島は「もったいない(Mottainai)」の伝統のおかげ。 現在、私たちが使っている「紙」は木材を原料としてパルプという植物繊維から作られています。江戸時代の和紙も木が原料でしたが、「もったいない(Mottainai)」から木を切らなかったのです…

灯りも「もったいない(Mottainai)」とした江戸文明

電灯はこまめに消しましょう。もったいない(Mottainai)から。 現代では蝋燭(ろうそく)を灯りに使うのは誕生日のケーキの上にたてて「ふっー」と消したり、花火をするときの種火にしたりするぐらいでしょうか。使い終わったロウソクはどうしているかという…

異常なオスプレイ報道

オスプレイ報道っておかしくないですか? 昨日の朝、TBSの番組「朝ズバ!」を何気なしに見ていましたら、オスプレイの報道をやっていました。しばらくして大津のいじめ問題に移りましたが、途中で搬入されるオスプレイの映像に切り替わりました。え?何コ…

稲わらをとことん使った「もったいない(Mottainai)」文化の江戸

もったいない(Mottainai)の代表選手。 日本人であれば当たり前のものは見過ごすところを外国人はしっかり観察し、記録します。 フランス海軍士官スエンソン 慶応二年(1866年)来日 「大きな荷鞍に荷物をどっさりのせられ、蹄鉄の代わりに藁(わら)のサン…

糞尿さえ「もったいない(Mottainai)」だった江戸文明

完全リサイクルの江戸。 幕末に来日した外国人は農村で下肥(しもごえ)、つまり人間の排出物を肥料に使っているのには鼻をつまんだようです。 フランス海軍士官スエンソン 慶応二 1866年来日 「目ではなく嗅覚が日本の風景に向ける非難は、一年のうちに決ま…

大江戸「もったいない(Mottainai)」文明の誕生

「もったいない(Mottainai)」は世界の合言葉。 昨年、教科書展示会へ行き、いくつかの歴史教科書を見ましたが、どの教科書も江戸のリサイクル社会、エコ社会を取り上げていました。私の子供の頃はそのような記載はなかったように思いますが、時代なのでしょ…

日米修好通商条約から生まれた幕末の錬金術

金銀交換で3倍になった! 安政5年6月19日(1858年7月29日)、日米修好通商条約が結ばれました。同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだので安政五ヶ国条約とも言われています。よく外国の領事裁判権を認め、日本に関税自主権がな…

江戸時代、武士より町人が強かった!?

武士は町人に平身低頭だった。 江戸時代、武士はいばりくさって、農民、町人から搾取したようにいわれてきましたが、実際、武士は借金まみれで、貨幣経済を握っていた町人に頭があがりませんでした。では武士は何にお金を使っていたのでしょうか。 加賀藩御…

無視される辺野古住民の意思

「テント村」は大迷惑、基地は容認が辺野古の意思。 辺野古座り込み あす3000日 沖縄タイムス 2012年7月4日 09時30分 【名護】米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画に反対する住民らの座り込みが5日、3000日を迎える。稲嶺進名護市長が反対…

仕組まれた盧溝橋事件

コミンテルンの策謀だった盧溝橋事件。 もう一度読む「山川 日本史」高校歴史教科書 「1937(昭和12)年7月7〜8日、北京郊外で日本軍と中国軍の武力衝突がおこった(盧溝橋事件)。つづいて上海でも日中両軍が衝突し、戦禍は中国中部にもひろがった…

遠山の金さんは経済通だった

いよ!金さん! 「北町奉行・遠山左衛門尉様、ご出座〜」ドンドンドンと太鼓がなり、お奉行がお白州に登場する「遠山の金さん」のドラマは有名でしょう。 北町奉行所は呉服橋内にあり、南町奉行所は数寄屋橋内にありました。位置関係で北と南と呼んでいたわ…

中村主水は裕福だった!?

中村主水は貧乏侍ではなかった。 テレビ時代劇「必殺仕事人」に登場する中村主水(なかむらもんど)は江戸町奉行の同心です。ドラマの中では"おばば様"と奥様に頭が上がらず、うだつの上がらない貧乏侍として描かれています。江戸町奉行に所属する役人は町方…

横浜市教委の悪質な副読本改竄、関東大震災の朝鮮人虐殺という誤った認識

一部の思想による洗脳教育がまだ可能。恐ろしい。 「朝鮮人殺害」を「虐殺」 横浜市教委、中学副読本を書き換え 事務局独断で 2012.6.25 00:49 msn産経ニュース 横浜市教育委員会が市立中学の生徒全員に配布している副読本『わかるヨコハマ』の今年度の改訂…

脱原発より我々がやるべきは「もったいない」文化の育成

世界に広まる「もったいない」文化。 大飯再稼働:撤回求め官邸前でデモ 列は700メートルに 毎日新聞 2012年06月22日 21時22分(最終更新 06月22日 21時40分) 東京・永田町の首相官邸前で22日、関西電力大飯原発の再稼働撤回を政府に求める抗議行動があ…

沖縄を再び唐ぬ世にせぬために

沖縄を守れ! 「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」・・・これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した学曲「ドゥチュイムニイ」の一節です。「唐ぬ世」は琉球…

沖縄のアメリカ世からまた大和ぬ世

祖国復帰。 「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」 これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した学曲「ドゥチュイムニイ」の一節です。支配者がどんどん変わる…

沖縄の大和ぬ世からアメリカ世

アメリカ世はひどいことばかりだったのか? 「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」 これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した学曲「ドゥチュイムニイ」の一…

沖縄の維新後の大和ぬ世

再び民族が一つになった。 「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」 これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した学曲「ドゥチュイムニイ」の一節です。支配者が…

沖縄の唐ぬ世と薩摩

二重支配の時代。 「唐ぬ世(ゆー)から大和ぬ世、 大和ぬ世からアメリカ世、 アメリカ世からまた大和ぬ世、 ひるまさ変わゆる くぬ沖縄」 これはシンガーソングライターの佐渡山豊さんが作詞作曲した楽曲「ドゥチュイムニイ」の一節です。支配者がどんどん…

琉球王朝の誕生

琉球王朝はどのようにして誕生したか。 沖縄の歴史では12世紀に保元の乱で本土を追われた源為朝が沖縄本島南部に居住する豪族の娘ともうけた舜天(しゅんてん)が王となって沖縄を統一したと伝えられています。沖縄学の父と言われた伊波普猷(いは ふゆう…

自然エネルギーを利用した水車

江戸時代はあらゆるところでリサイクルしていた。 国木田独歩の明治31年(1898年)の作品「郊外」に「水車」の話がちょっと出てきます。物語は小学校教員の時田先生が下宿しているところから始まっています。下宿家には娘がおり、先生の元教え子の梅ち…

武蔵野はススキ野だった

武蔵野は江戸時代につくられた。 「半ば黄ろく半ば緑な林の中に歩て居ると、澄みわたった大空が梢(こずえ)々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末々々に砕け、その美しさを言いつくされず。日光とか碓氷とか、天下の名所は兎に角、武蔵野の様な広い平…

江戸時代にも生活保護があった

「河本擁護」派の損得勘定 吉本興業への忠誠心見せるためか 2012.06.04 16:00 「次長課長」河本準一の生活保護問題が、妙な「お祭り騒ぎ」になってきた。“同僚芸人”が「自分の家族も受給していた」と告白したかと思えば、別の“同僚芸人”はツイッターで河本を…

幕末に"モノづくりのニッポン"をみた外国人

技術の日本は既に育っていた。 フランス海軍士官スエンソンは慶応二年(1866年)に来日しました。スエンソンは後に大北電信会社を経営し、日本と大陸を結ぶ通信路を施設した人です。 スエンソンは慶応三年(1867年)に横須賀の造船所を見学に訪れま…

外国人が見た横浜の慶応の大火

開港間もない横浜で大火事があった。 幕末期の慶応二年十月二十日(1866年11月26日)、横浜で大火がありました。関内の日本人居留区の1/3、外国人居留区の1/4が焼失しました。豚肉料理屋鉄五郎から出火したため「豚屋火事」とも言われています…

天皇のご喪儀はなぜ土葬になったか

もともと火葬だった。 両陛下ご喪儀:宮内庁、火葬の具体的協議開始 毎日新聞 2012年05月24日 21時39分(最終更新 05月24日 21時59分) 天皇、皇后両陛下のご喪儀を巡り、宮内庁の羽毛田信吾長官は24日の定例記者会見で、火葬を行うことなどに関する具体的…

スエンソンが見た横浜

フランス山、港が見える丘公園。 慶応2年7月1日(1866年8月10日)、フランス海軍士官のエドゥアルド・スエンソンは横浜に上陸しました。この頃の横浜は開港して7年が経っていました。スエンソン 「海から見ると横浜は完全にヨーロッパの町である…

特攻隊を扱った沖縄メディア

語られていなかったカミカゼ。 琉球新報が特攻隊の記事を載せていたのでちょっと驚きました。 特攻隊員の鎮魂碑除幕 大宜味村喜如嘉 2012年5月27日 琉球新報 1945年4月6日、大宜味村喜如嘉沖での米軍との空中戦で亡くなり、翌7日に喜如嘉の海岸に流れ…