江戸時代にも生活保護があった





「河本擁護」派の損得勘定 吉本興業への忠誠心見せるためか
2012.06.04 16:00
次長課長河本準一生活保護問題が、妙な「お祭り騒ぎ」になってきた。“同僚芸人”が「自分の家族も受給していた」と告白したかと思えば、別の“同僚芸人”はツイッターで河本を擁護する。
 ツイッターで擁護した芸人とは、オリエンタルラジオ・藤森慎吾やブラックマヨネーズ吉田敬らだ。しかし<かばう人>は芸人仲間だけではない。在阪テレビ局の情報番組スタッフは開き直ったかのような言い方をした。
「ワイドショーで河本問題を取り上げないわけにはいきませんが、吉本に配慮した構成にするのが暗黙の了解です。・・・続き http://www.news-postseven.com/archives/20120604_113426.html ※週刊ポスト2012年6月15日号

 仲間芸人の河本擁護が逆に火に油を注ぐ結果となっている生活保護問題はなかなかおさまりそうにない状況です。週刊ポストの記事では「吉本に忠誠」と言っていますが、やはり闇がありそうな・・・

 それはそれとして歴オタとしては歴史に触れなければならないでしょう。江戸時代も生活保護がありました。天明の飢饉(1782年〜1788年)にともなって発生した江戸での大規模な打ち壊しにより、幕府が危機感を募らせ、江戸では「七分積金」という制度を作りました(※1)。簡単に言えば財政を切り詰めて、その分の7割を窮民救済に使うというものです。身寄りのない高齢者や子どもが食うに困るようなときは、調査の上、手当を支給しました。

支給条件
 1.高齢(70歳程度より上)で身体が不自由でも扶養する子などの身寄りがいない
 2.幼年(10歳程度より下)で父母に分かれるなど身寄りがない
 3.若くても貧困で長患いにかかっていて面倒を見るものがいない

 この条件に該当するものがいれば、名主・家主が実態を把握した上で、名主の証明書を家主が町会所に持参して「手当」を請求・受け取ることができたのです。名主・家主は今でいうケースワーカーの働きをしていたのですね。

 名主・家主といってもピンとこないと思うので江戸時代の都市部の町人統治システムを簡単に言うと次のようになります。自治システムが作られていたのです。

 町年寄 - 名主 - 家主 - 地借、店借

 長屋のはっつあん、クマさあん、は地借、店借です。家主は「大家」ですね。町人といえば本来は家主以上で、地借、店借は町人ではありません。税金を払っていたのは町人以上。大阪では町年寄は選挙によって選ばれていました。民主的ですね。

 支給例1 裏店に住む、寮善という66歳の僧侶
「寮善は独身で、5年以前から疝気(下腹痛を伴う内蔵障害)を患い身体が不自由になりましたが、世話をする者がいません-> 銭1貫500文支給。

 支給例2 小石川の弥助75歳
「弥助は独身者で、近年病身になったため生活を立てることができなくなって困窮しており、面倒を見る者もいません-> 銭1貫500文支給。

 はつ(65歳)と娘まつ(30歳)
「まつは"生得愚者(障害者のこと)"で結婚しても実家に戻されてしまったので、母親のはつが縫物などの賃仕事で養っていたのですが、この年の三月、はつが自宅の入口から転げ落ちて怪我をしてしまいました・・・二人を養育する者も居りません。」 -> 銭二貫文支給。

 現代から見ても妥当な支給理由でしょう。これは江戸の都市部ですが、農村部は高度な自治社会で相互扶助の精神があり、没落した農家は"潰百姓"といって村と五人組という連帯責任を負う制度によって支えていました(※2)。

 江戸時代の娯楽といえば歌舞伎や寄席があげられますが、売れっ子の芸人の母親に「七分積金」を申請したらどうなるか・・・わかりますね。子が親の面倒を見るのはあたりまえ。これが本来の日本人の道徳観でしたが、戦後、GHQによって家族制度が破壊され、核家族化が進んでしまったので、希薄になってきているようです。それから"もらえるものは貰っとけ!"・・・よしもと芸人さんが本当に言ったかどうかわかりませんが、「公」の精神を失い「個人主義」化して"今だけ、カネだけ、自分だけ"となってしまった戦後日本の風潮にも問題がありそうです。



※1 日経プレミアシリーズ「江戸のお金の物語」鈴木浩三(著)より
※2 講談社現代新書「貧農史観を見直す」佐藤常雄・大石慎三郎(共著)より

添付画像
 名所江戸百景 駿河町(歌川広重 PD)

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