2012-11-01から1ヶ月間の記事一覧

南京大虐殺はいったいどこで行われたのか

いくら探しても南京大虐殺の実態は出てこない。いったいどこで虐殺はあったのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で13日の南京城陥落後、六週間にわたって30万人が殺害されるという南京大虐殺があったといわれてきました。南京のいった…

ヴォートリンが南京で見たもの

ヴォートリンは南京で8000件におよぶ強姦事件を何件見たのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍は南京市を占領しました。ここで日本兵が殺人、略奪、強姦、放火といった蛮行を繰り広げたと言われています。難民を受け入れて国際…

陽気で無邪気で好奇心旺盛な江戸日本人

世界で一番人間性豊かな民族だったのかもしれない。 フランス海軍士官・スエンソンは慶応3年(1867年)に横浜にやってきました。日本人が汚らしい声で何やら言ってくるのが耳に触りました。「そしてこちらも疑い深い目で周囲の色黒でずんぐりした連中を…

南京事件の日々

ヴォートリンは南京をどう過ごしたのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍は南京市を占領しました。このとき、外国人による国際委員会が設置され、一般市民は安全区と言われる区域に保護されていました。ここで日本兵が蛮行を働いた…

外国人記者たちは南京大虐殺を見ていない

誰も見ていない南京大虐殺。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏とシカゴ・デイリー・ニューズの…

スティール記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン記者もスティール記者も南京大虐殺を見ていない。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏…

ダーディン記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン自身は南京大虐殺を見ていなかった。 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったと世界に知らせたとなっているのはニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏です。ダーディンは南京大虐殺を見たの…

南京虐殺を世界に知らせたというダーディンは嘘をついたのか

ダーディンは嘘をついたのか? 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったとして、ニューヨークタイムズのF・ティルマン・ダーディン氏が12月18日に伝えました。 ニューヨーク・タイムズ宛特電 「南京における大規模な虐殺…

礼儀正しく、親切だった江戸日本人

知らない人にでも挨拶し、親切だった。 幕末に来日した宣教師、S・R・ブラウン(安政6年 1859年来日)は、江戸幕府からキリスト教を広めるのではないかとの疑惑をいつも意識させられていました。ある日、街路を歩いていると、家来を連れた幕府の警察上役…

南京虐殺幕府山事件の印象操作

自衛行為だった幕府山事件。 昭和12年(1938年)12月の南京戦でよく言われるのが南京城外の幕府山で捕虜を大量処刑した、という話です。これが南京虐殺に相当するというものです。関与したのは山田支隊の歩兵第65連隊両角(もろずみ)部隊と言われ…

無人地帯で南京大虐殺は不可能

人がいないのに大虐殺などできない。 昭和12年(1937年)8月13日、支那軍が上海の日本海軍陸戦隊を攻撃し、第二次上海事変が勃発しました。支那軍は3万、日本海軍陸戦隊はわずか4千。日本は陸軍を派遣します。戦闘は大激戦となり、11月5日の日…

南京虐殺の人口トリック

20万人を30万虐殺できない。 ホロコースト、広島・長崎の原爆とならぶ世界三大虐殺と言われてきた「南京大虐殺」ですが、陥落当時(昭和12年 1937年12月13日)の南京の人口が20万であるのに、30万殺害できるわけがないことは小学生でもわ…

失われていったユートピア、江戸文明

愛しき純ニッポン。 嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、黒船来襲。ペリー提督率いるアメリカ海軍東インド艦隊が浦賀沖に現れます。以降、江戸幕府は開国の道を歩むことになります。嘉永7年3月3日(1854年3月31日)、日米和親条約締結、安政5年(1858年…

鎖国中の江戸日本は外国人に興味津津

江戸日本は外国事情に通じていた。 江戸時代は鎖国していましたから、国内には外国人はオランダ人、支那人だけ長崎の出島にしかいませんでした。オランダ人の商館長は「カピタン」と呼ばれていました。カピタンは貿易業務の閉期に江戸へ参府することが義務付…