2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

聖帝オホサザキと昭和天皇

オホサザキ(仁徳天皇)は日本の第16代天皇(在位:313年2月14日-399年2月7日)です。都市を発展させ善政を敷いたため聖帝として名高い天皇です。 あるときオホサザキは高い山に登り、山上から国を眺め国情視察を行いました。するといずれの家からも煙が立ち…

昭和天皇とマッカーサー

昭和天皇とマッカーサーは戦後、11回にわたり会談しています。このことから親密な関係ぶりが印象付けられているように思いますが、会談の内容は平坦なものではなく、特に安全保障の面では対立の様子さえ見えます。 マッカーサーが解任されたとき昭和天皇は…

品格の違い 〜 昭和天皇・マッカーサー会談

添付の写真を見たことのある人も多いでしょう。この写真は昭和20年(1945年)9月27日の昭和天皇とマッカーサー会談の時の写真です。話をする前に挨拶を交わした直後に取られたもので、マッカーサーはノーネクタイのラフな格好で天皇より格が上だと…

技術のニッポンは衰退へ向かうのか

先の大戦の終戦時、日本人はこう思っていました。 「日本は戦争に負けたのではない、科学の力に負けたのだ」 科学の力・・・原子爆弾を指しています。そしてひそかに不服従の感情を持っていました。 大東亜戦争で日本はよく科学技術を軽視していたと言われま…

皇室の存在意義

上智大学名誉教授の渡部昇一氏は戦後10年目の昭和30年(1955年)ドイツへ留学し、ある家庭へ招待されたときのこと、「日本にはたしか、”テンノー”という元首がいたはずだが、敗戦後はどうなったのですか?」と訊かれました。そして「今でも天皇は戦…

昭和天皇の全国巡幸

昭和20年10月 昭和天皇から宮内府次長へ この戦争によって先祖からの領土を失い、国民の多くの生命を失い、たいへん災厄を受けた。この際、わたくしとしては、どうすればいいのかと考え、また退位も考えた。しかし、よくよく考えた末、この際は全国を隈…

昭和天皇の記憶

私の子供のころの昭和天皇の記憶と言えば、TVで陛下が「あ、そう」とよく言われていたことを覚えています。どういう場面だったか、勲章授与の後の受勲者との会話かなにかだったかもしれません。TVのドラマでもそんなシーンがあったように思います。 小林…

国家破壊を目的とする日教組

戦後占領下、GHQは労働組合の結成を奨励し、昭和20年12月に全日本教員組合が結成され、その後装いを新たにしながら、別途社会主義志向の教全連と1947年に合同し、教員50万人が所属する巨大組織として日教組が誕生します。この誕生の支えたのは…

政権に潜む日本破壊思想

若狭和朋著「続・日本人が知ってはならない歴史」にはフランクフルト学派の外務大臣が誕生したとき義憤を持った、と書いています。これは自民党政権時代の話であり、調べてみて誰だかわかりませんでしたがフランクフルト学派の思想は政治にも影響を与えてい…

ゆとり教育とフランクフルト学派

ゆとり世代が社会人になった!かと思えば、我が家では「ゆとり教育で習わずにそのまま過ぎてしまう!塾で補充しなきゃ」と妻が騒いでいます。「ゆとり教育」がいろいろ言われていますが、調べてみると昭和47年(1972年)日教組が、「ゆとり教育」とと…

石原都知事の「日韓併合は韓国の選択」発言は事実を言っている

昨日はNHKの日韓併合の番組をちょっとだけ見ましたが反吐が出るほどひどかったと思ったら、世の中には言うべきことを言う人もいました。 石原都知事の「日韓併合は韓国の選択」発言に韓国が猛反発 4月19日17時16分配信 サーチナ 17日、民主党が検討してい…

世界が恐れを抱く日本

「日本は、アジア、アフリカで一度も植民地にならなかった稀有な国だ」 欧州人はこういう認識を持っており、ごく一般に言われていることなのだそうです。日本ではこんなことは言われないでしょう。あくまで「日本悪しかれ」と政治家もマスコミも学校もGHQ…

タイ国王の権威

タイはアジア唯一の王国です。マレーシアは貴族が持ちまわりで国王の座につく「選挙王制」の国で世襲ではなく、通常言う王国ではありません。君主国といえるのは日本とタイです。 現在のタイの王室は1782年、プラプッタヨート・ファーチュラーローク王か…

戦後の日本とタイ

タイといえばコメ、東洋のデトロイトと思い浮かべる人が多いでしょう。それから仏教の国。あとはクーデターが多く政情不安、国王の権威が高いなどでしょうか。 戦後、タイでは米英に宣戦布告したピブンが首相に返り咲いています。(1948年)冷戦が深刻化…

マレー半島・シンガポールへ

昭和16年(1941年)12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、昭和17年(1942年)1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入しました。この快進撃を支えたのは現…

米紙、鳩山総理を酷評

日本国民として穴があったら入りたい心境です。 米紙コラム、「一国の首脳に非礼」官房長官 4月15日19時1分配信 読売新聞 平野官房長官は15日の記者会見で、米紙ワシントン・ポストが先の核安全サミットでの鳩山首相を「最大の敗北者」「哀れでますますい…

マレー沖海戦

昭和16年12月10日、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘で日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈し、「作戦行動中の戦艦を航空機で沈め…

日米開戦の「最後通牒」手交の遅延は大使館の怠慢

真珠湾攻撃は「宣戦布告前」に行った日本の騙まし討ちといわれたのは対米覚書「最後通牒」の手交が遅れたことが原因とされています。 外務省はワシントンの野村大使に対米覚書を14項にして発信し、機密保持のため「タイピスト」を使わないように指示がでて…

身を殺して仁をなした日本 〜 タイから

大東亜戦争末期のタイでは連合国で結成された「自由タイ」がタイ国内の反ピブン勢力と連動し、ピブン政権は総辞職することになります。続いてクアン内閣は自由タイの活動を支持しました。日本がポツダム宣言を受諾した翌日の昭和20年(1945年)8月1…

タイと大東亜戦争

1941年(昭和16年)12月7日、日本軍山下兵団は南タイへ上陸してマレイ作戦を敢行すべく航行中でした。坪上貞二駐大使はタイのピブン首相に緊急面会を申し入れます。しかし、首相は国境の空港施設の視察に出向しており不在でした。やむなく日本側は…

満洲映画協会

満洲映画協会は満映と略される満州国の国策映画会社です。昭和12年(1937年)に設立。資本金は500万円で満州国と満鉄が50%ずつ出資しました。プロパガンダ映画という評価もありますが、文化的要素も評価されています。 満映には「大杉栄殺し」の犯人とされ…

あじあ号の夢

最高時速120キロ、全車両冷暖房装備の「あじあ号」は昭和9年(1934年)3月に満州で運行を開始しました。それまでは「燕」の最高速95キロが最高だったことからまさに「超」特急でした。 南満州鉄道株式会社は日露戦争の翌年である明治39年(19…

日米大海戦構想はおかしかったのか

私は子供の頃、学校で日米戦争で日本は大型戦艦を主力とする決戦構想という古い考えがあった、と教えられた記憶があり、日本軍は発想自体古いというような話でした。 三国同盟と日米戦(昭和15年10月 松尾樹明)GHQ焚書図書開封より わが駆逐艦の戦争上…

日米開戦前の認識

私は昭和16年12月の日米開戦を無謀な戦争を始めたとか、軍が暴走したとか、自殺行為だったとか、教えられましたが、これは日米戦争の結果が本土空襲によるあまりにも悲惨な結果に終わったから「最初から無謀だった」という結果から導かれた論であるのと…

失地回復へ 〜 微笑みの国の逆襲

1914年から翌年にかけてタイのワチラーウット王(ラーマ6世)はナショナリズムを鼓舞する政策にでます。タイでは華僑が経済活動を牛耳っており、得られた利益は支那に還元されてしまい、タイにはメリットがないとして華僑が批判の対象となります。 そし…

タイも近代化により独立を保った

タイは白人の植民地時代に東南アジアで唯一独立を保った国です。 侵略されたアジア諸国 1819 シンガポール(イギリス) 1826〜86 ビルマ(イギリス) 1862〜84 ベトナム(フランス) 1863 カンボジア(フランス) 1898 フィリッピン…

日タイ400年史 〜 山田長政

日タイ400年史というのはタイのアユッタヤー王朝の親衛隊長となった山田長政の頃からを指すものです。 15世紀から17世紀にかけて東南アジアは「交易の時代」に突入していました。タイの国はアユッタヤー王朝がありましたが、1558年にビルマのタウ…

日韓史はこうやって騙される

こういう偏向報道に国民がだまされるのですよ。 「トンネルの歴史 後世に」 長崎 被爆の韓国男性 訪問 3月31日7時7分配信 西日本新聞 戦時中の地下兵器工場で原爆投下直後は避難所にもなった長崎市の「旧三菱兵器住吉トンネル工場」の一般公開が30日、始ま…

長篠・設楽が原の合戦の真実

長篠・設楽が原の合戦は1575年6月29日、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦いで、最強武田騎馬軍団を織田徳川連合軍が3000挺の鉄砲で粉砕した戦いです。武田騎馬隊の突…

日本なかりせば

1955年(昭和30年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は大歓迎を受けました。「よくきてくれた」 「日本のおかげだ」 「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オラ…