中村主水は裕福だった!?

中村主水は貧乏侍ではなかった。




 テレビ時代劇「必殺仕事人」に登場する中村主水(なかむらもんど)は江戸町奉行の同心です。ドラマの中では"おばば様"と奥様に頭が上がらず、うだつの上がらない貧乏侍として描かれています。江戸町奉行に所属する役人は町方役人といわれ、与力と同心がいます。与力、同心の収入は次の通りです。

 与力・・・石高60石から230石
 同心・・・30俵二人扶持

 1俵=4斗(と)の換算だと30俵は120斗。10斗が1石だから12石(こく)であり、現代感覚(賃金)からすると1石27万円として324万円也。
 1人扶持は米五合(ごう)/日ですから、360日かけて1800合=180升(しょう)=18斗=1.8石。これを二人分で3.6石=97.2万円也。同心、中村主水の年俸は421万円になります。これで"おばば様"と妻を養い、更に小者2〜3人を雇えばもう大変。武士は貧乏で借金まみれでしたから、中村主水も例外なく、必殺の"仕事"というサイドビジネスをやらなければやっていけません。

 ところがよくみると、町方は与力が300坪、同心は100坪の屋敷を八丁堀に割り当てられていました。賃料がいらないのです。300坪といえば結構なもので、100坪でも現代の都市部の一般マイホームの3倍ぐらいあるでしょう。ですから、医者や儒者に土地の一角を貸して不動産収入を得ていたのです。

 さらに与力、同心は諸大名や町人から「付け届け」を貰っていました。これは何かトラブルを避けるための事前相談とか、トラブルが起こったとき「よろしく処理お願い」とか、諸大名の国の特産品販売の仲介依頼という様々な思惑が入ったお金です。"袖の下"(賄賂)というものではなく、当時は弁護士がいませんから、顧問料みたいなものです。諸大名と江戸町人を結ぶエージェントでもあります。ちゃんと領収書を発行していました。与力では3000両貰うものもいたといいます。現代感覚では9億円也!中村主水も相当もらっていたでしょう。

 こうした与力、同心の副収入は岡っ引や小者を雇うことにも使われます。銭形平次がそうですね。「目明し」とか「御用聞き」ともいいます。密偵(スパイ)もこの中に含まれます。必殺のドラマでは中村主水は一人で江戸の町を練り歩いていますが、本当は小者が2,3人は一緒についてまわり、"目明し"が表裏で活動していたのです。

 与力、同心はこうやって現金収入を得て、江戸の町を治安を守っていたわけで、出費も多くありますが、結構裕福な生活が出来ていました。与力、同心は法的には一代限りでしたが、実質は世襲であり、治安維持のノウハウが親から子へ伝統的に継承されていきました。当時の武士の中では希にみる「オトク」な仕事であり、世襲されるため、子の就職の心配は不要であり、ノウハウが親から子へ引き継がれるため、仕事も万事うまくいくし、町人から「八丁堀の旦那」といってチヤホヤされるということで、大変魅力ある職業だったといえるでしょう。(不浄役人とも言われましたが)

 与力、同心の生活は当時「八丁堀の七不思議」の一つとして「奥様あって殿様なし」といわれました。与力も同心も最下級の武士、あるいは武士以下ですから、旗本のような「殿様」ではありません。しかし、彼等の妻たちは大名、旗本並の暮らしをしていたのです。「奥様」なんです。

 必殺仕事人の中村主水は養子の身であり、"おばば様"と"奥様"にいつも小言を言われて虐げられていたなんてとんでもない。大名、旗本並の暮らしをさせてくれる稼ぎの良い"婿殿"に感謝感謝であって、それはそれはもう大切に扱われたこと間違いありません。主水も経済面の理由で"必殺"の仕事をする理由はなかったのです。



参考文献
 日経プレミアシリーズ「江戸のお金の物語」鈴木浩三(著)
 双葉文庫「時代小説 江戸事典」山本眞吾(著)
 新潮新書武士の家計簿磯田道史(著)

添付画像
 名所江戸百景 駿河町(歌川広重越後屋三越)の暖簾を見ることができる。(PD)

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死闘・中村主水
www.youtube.com/watch?v=1usgGAMRUNM