広島

原爆投下を事前にどれだけ知り得たか

情報は二線、三線での交叉点を求める式の取り組みをやらないと真偽の判断は難しい。 鬼塚英昭(著)「昭和天皇は知っていた 原爆の秘密」、古川愛哲(著)「原爆投下は予告されていた」では軍幹部、特に第二総軍の畑俊六元帥以下は原爆が投下されるのを事前…

脱原発に利用されるヒロシマ

ヒロシマの平和記念式典で「脱原発」?なんですか、それ。 首相“被爆体験伝承や脱原発依存を” NHK NEWS WEB 2012年(平成24年)8月6日[月曜日] 野田総理大臣は、広島市で開かれた平和記念式典であいさつし、被爆から67年を経て、被爆体験の伝承をより後…

コールサインV600番台を追え

エノラ・ゲイのコールサインは600番台。 昭和20年(1945年)、陸軍特殊情報部ではアメリカ軍の暗号解読を急いでいましたが、それと同時に海軍と協力して通信諜報調査を行なっていました。それにより日本本土を爆撃するB29が発信する電波の冒頭に…

ニューディリー放送の怪

ニューディリー放送の原爆投下予告は本当か。 昭和20年(1945年)ニューディリー放送 6月2日 「スチムソン委員会は、全会一致で日本への原子爆弾投下を大統領に、ワシントン時間の6月1日午前九時、勧告書を提出しました。」7月16日 「昨日、米…

原爆投下は予告されていたのか

陰謀論は本当か。 昭和20年(1945年)7月28日、四機のB24コンソリデーテッドが呉を空襲し、うち二機が広島上空に飛来しました。双葉山の高射砲陣地が火を吹き、2機を撃墜しました。1機は五日市と井口の中間辺りに墜落しました。警防団がパラシ…

湯川秀樹と原子爆弾

湯川秀樹は語らなかった。 湯川秀樹と言えば、昭和24年(1949年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した理論物理学者です。大東亜戦争敗戦間もなくの頃、ノーベル賞受賞は日本国民を勇気づけた、と学校で習った記憶があります。 大東亜戦争当時、…

喧嘩が弱かったから原爆は落とされた

喧嘩が弱ければやられる。これは世界の常識。 昭和20年(1945年)8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。9日には長崎に投下されました。 日本陸軍は昭和18年夏より優れた数学者を集めアメリカの暗号解読をはじめ、昭和19年には解き始めてい…

広島のGHQの子孫たち

GHQによって洗脳された広島の人々。 昭和22年(1947年)12月7日、広島護国神社跡に昭和天皇がおられました。「熱心な歓迎に嬉しく思う。広島市民の復興の努力のあとをみて満足に思う。みなの受けた災禍は同情にたえないが、この犠牲を無駄にする…

原爆投下後のヒロシマの声

『兵隊さん、きっとこの仇を取ってください。』これがヒロシマの声でした。 昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、広島に原子爆弾が投下されました。賀茂海軍衛生学校練習生隊 西家明男 「治療を受けに集った負傷者を混雑しないように縦列にな…

8月6日、広島の朝

あの夏の朝、原爆は投下された。 昭和20年(1945年)8月6日広島。 空襲警報 午前〇時二十五分発令 午前二時十分 空襲警報解除 午前二時十五分 警戒警報解除 警戒警報 午前七時九分発令 午前七時三十一分 警戒警報解除 町内会の役員や警防団員は、前…

原爆投下の序曲

迫り来る8月6日。 昭和20年(1945年)、5月28日、アメリカ大統領トルーマンのもとにモスクワに派遣していた腹心ホプキンスより報告が入ります。「8月8日にはソ連軍は満州の防衛線にたいして間違いなく攻撃を開始します」 トルーマンとマンハッ…

今年もやっていた広島の言論弾圧

今年も言論弾圧がありました。広島の恥です。 昨年、8月6日、広島で元航空自衛隊の田母神 俊雄(たもがみ としお)氏が「ヒロシマの平和を疑う」という講演を行いましたが、「(財)広島市ひと・まちネットワーク」が講演会チラシ広報協力拒否したという事件…

ヒロシマよ、言論空間を開放せよ!

ヒロシマの閉ざされた言論空間 広島は原子爆弾によるあまりにも大きな痛みとGHQが刷り込んだ自虐史観によって思考停止状態になっています。「過ちは繰り返しませぬから」と自嘲し、「見てください、原爆はこんなに惨いのです。私たちはかわいそうな被害者…

ヒロシマよ、自虐史観から脱却せよ!

原子爆弾を落としたかった米トルーマン大統領。 ヒロシマは原子爆弾による余りにも大きな痛みのため、戦後から今日まで思考停止状態に陥りました。出てくる言葉は「原子爆弾は悲惨、残酷」「核実験に抗議」「核の廃絶を」という意味のものが並びます。これら…

ヒロシマよ、思考停止から脱却せよ!

広島の原子爆弾で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。 私は広島生まれの広島育ちで就職のとき東京へ来ました。東京では8月6日が何の日か知らない人がほとんどであるのに驚きました。 原爆ドームが崩れそうで数億かけて補強する話がありました。その時…

ヒロシマの閉ざされた言論空間の一例

8月6日の田母神氏の講演は「(財)広島市ひと・まちネットワーク」に講演会チラシ広報協力拒否されています。http://www.realpas.com「広島市長へ公開質問状」 許可されている「ヒロシマ平和の夕べ」で高史明という作家が登場するようで、なぜ朝鮮籍の人が?…

ヒロシマの閉ざされた言論空間に風穴があくか

広島で観念的平和観に疑問を持ち、被爆2世の方たちにより「平和と安全を求める被爆者たちの会」 http://www.realpas.com/ が設立されています。現実的な視野にたつこと、が趣旨の中に含まれています。 設立趣意書 私たちは、世界で唯一原子爆弾の被害を受け…

今年も田母神氏が広島で講演

今年も田母神氏が8月6日に広島で講演を行うようです。 8・6に田母神氏が講演 前航空幕僚長の田母神俊雄氏が原爆の日の8月6日、広島市中区で「ヒロシマの平和を疑う」と題して講演する。昨年に続き2回目。広島市の秋葉忠利市長は3日、記者会見で、言…

昭和天皇の広島行幸 〜 広島人に知ってもらいたいこと

昭和22年12月5日〜8日昭和天皇は広島へ行幸されました。広島市長浜井信三氏 「市中を展望していただくために、屋上へとご案内申し上げた。」 「陛下は市中のあちこちを眺めておられた。」 「『家が建ったね』。とポツンと一言おっしゃった。そして感慨…