糞尿さえ「もったいない(Mottainai)」だった江戸文明

完全リサイクルの江戸。

 幕末に来日した外国人は農村で下肥(しもごえ)、つまり人間の排出物を肥料に使っているのには鼻をつまんだようです。

 フランス海軍士官スエンソン 慶応二 1866年来日
「目ではなく嗅覚が日本の風景に向ける非難は、一年のうちに決まった時期に、どんなに詩的美麗な風景をも散文的で絶望的なものにしてしまう悪臭である。地味を肥やすために糞を尿に溶かしたものを用いるのだが、このどろどろの液体は山腹に掘られた穴に貯蔵され、それがすぐに腐敗してえもいわれぬアンモニアの香水の悪臭を放つのである」

 発酵させると温度が60度ぐらいになり、回虫の卵などを死滅させるのですが、その匂いはきついものでした。イギリスの公使オールコック(安政六年 1859年来日)も町から郊外の田畑に送られる下肥には参ったようです。
「ときどき、町から田畑に送られる液体の肥料を入れたおおいのない桶を運ぶ運搬人が列をなしてとおったり、いかに貴重だとはいえ『危険物』といえる例のものを積んだ馬が列をなしてとおったりすることは、まったくいやなものだ」

 ただ、下肥は優良な肥料だという認識は持っており、ドイツの近代農芸化学の父といわれるリードビヒが「土地をいつまでも肥えたままに保ち、生産性を人口の増加に比例して高めるのに適した比類のない優れた農法」(1840年)として激賞しているので知識はあったのでしょう。

 幕末期のヨーロッパでは下水が整備されてきていますが、そのまま川に流したので、ロンドンではグレート・スティンクという大事件がおきています。テームズ川の水がよどんで、汚物が腐敗し、すさまじい悪臭が発生したのです。テームズ河畔の国会議事堂では大臣や議員がハンカチや口を花で押さえて逃げ出したというのですから、いかにスゴイ悪臭だったか・・・

 江戸日本では糞尿を川に流すなんて「もったいない(Mottainai)」というわけで、そして川はとってもクリーンでした。下肥はチッソやリンを含んでおり、農作物を育て、それらを人間が食べ、また排出物が肥料になるという完全リサイクルしていたわけで、エネルギーは自然の太陽エネルギーのみを使っています。

 江戸近郊の農家は、長屋の大家や大名屋敷と契約を結んで糞尿を買い取っていました。「きんぱん」「町肥」「お屋敷」「たれこみ」といった具合に糞尿にもランクがつけられ、そのランクによって値段はちがったのです。いちばん上は「きんぱん」で大名屋敷から出たもの。中は「町肥」は一般の町家。下は「お屋敷」で寮や留置場から出たもの。「たれこみ」は尿が多く混じっているものを指しました。

 この下肥は江戸時代後半になると実に不足してきました。江戸の人口の伸びは鈍化していましたが、生活水準が向上し、農村では生産物の商品化が進んでいったからです。高価な野菜を食べたからといって糞尿が増えるわけではありません。下肥の値段は上がっていくし、困った農家は大根を担いで町へでて下肥と直接交換するなどしています。また、盛場では有料公衆便所が設けられ、町の方々に桶を半分埋めただけの小便所などが作られました。

 下肥は昭和30年ぐらいまでは重要な肥料でしたが、水洗トイレ、下水道の発達とともにすたれていきました。私が中学生の頃まで山腹の田畑で使用しており、「臭い」と文句を言うと農家の人に睨まれたのを覚えています。下肥が下火になり、代わりに化学肥料が使われました。これは目先生産性が目覚しく上がりますが、いずれ土が固まり、長期的には農作に適さない土になってしまいます。硫酸分が土の中のカルシウムと化合して石膏になるからと言われています。これに懲りて「有機農法」が叫ばれているのは多くの人の知るところでしょう。そのうち、「もったいない(Mottainai)」文化に回帰し、下水道に流した汚物から肥料を作るようになるかもしれません。日本の技術ならいとも簡単にできるはずです。



参考文献
 講談社学術文庫「江戸幕末滞在記」エドゥアルド・スエンソン(著)/ 長島要一(訳)
 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)
 講談社文庫「大江戸リサイクル事情」石川英輔(著)
 河出書房新社「江戸の庶民の朝から晩まで」歴史の謎を探る会(編)


Mottainaiは世界の合言葉  http://mottainai.info/
Mottainai」は消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)の四つの「R」。

添付画像
 江戸後期の長家の共同便所(深川江戸資料館) Auth:DryPot(CC)

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