東京裁判そのものが犯罪である

ニュルンベルク裁判や東京裁判は戦争の抑止力にはならなかった。




 東京裁判というのは大東亜戦争で日本敗戦後、戦争犯罪があったとして連合国側が一方的に日本の指導者を裁いたものです。正式には「極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん The International Military Tribunal for the Far East)」と言います。(1946年5月3日〜1948年11月12日)。

 東京裁判では11人の判事がおり、インド代表のパール判事はA級戦犯25名の被告に対して全員無罪の判決を下しました。パール判事が書いた判決書には戦争における個人責任の問題について検討しており、1907年のハーグ条約に関して言及しています。

「1907年の第四ハーグ条約は、疑いもなく締約国間だけに適用されるものであり、しかもその場合でも交戦国がことごとくこの条約の当事者でないかぎり、適用されないものである。しかしながら、この条約の付属規定は、ただ文明諸民族の間に確立された慣例の結果として生まれた、現存の国際法の諸原則だけをとり入れたものであるといわれている。
 法のもとにおいては、戦勝国国際法上の当然の手続きに依ることなしに、これらの俘虜を『処刑する』としたならば、その行為は戦勝諸国による『厳密ナル意味ニオケル』『戦争犯罪』となろう

「本官の見解によれば訴追されている諸行為が現存国際法のもとでなんらの犯罪をも構成していないとすれば、勝者の下した新しい犯罪の定義をもってそれらの行為をなした人々を裁判し処刑することは、勝者自身が『戦争犯罪』を犯すことになるであろう。俘虜が国際法上の諸規則、諸規定に則って処理されるべきであり、勝者みずから選んで国際法であると称するところにしたがって処理すべきでない」

上智大名誉教授の渡部昇一氏によると、これは東京裁判そのものが捕虜虐待になっているとの指摘であると述べています。昭和20年(1945年)9月2日からはアーミステス(休戦)であり、昭和27年(1952年)に発効したサンフランシスコ講和条約によって戦争状態が終了してピース(平和)に至るのですから、講和条約が成立するまでは戦争が完全に終わっていない状態でした。したがって、東京裁判の被告は全員捕虜であり、国際法における厳密な意味の戦争犯罪を裁くのはよいとしても、敵対行為の終了に先立ってあらかじめ発した警告中に構想されていなかった新しい概念を持ち出して彼らを裁いたならば、裁くほうが戦争犯罪を犯すことになるというものです。

 たしかに、日本はポツダム宣言を受諾し、正規な手続きを経て降伏しました。そこで拘束された者は国際法上の捕虜になるわけです。そこで裁判を行うとしたら国際法に則って裁かれなければなりません。しかし、東京裁判は裁判所条例が作られ「平和に対する罪」という事後法が適用されているのです。不当な裁判であり、ハーグ条約違反になります。戦争犯罪に匹敵し、結果、7名が処刑されたのですから、これは「捕虜虐殺」に相当します。

 渡部昇一氏によると東京裁判の検事は第二次世界大戦を最終戦争のように思い込み「ここできっちり罰してしまえば、二度と世界に戦争は起こらない」という感覚を持っていたと指摘しています。

 パール判事
「犯罪に対して裁判を用い、刑罰を科する手段は、戦争に敗れたものにたいしてのみ適用されうるという段階の国際機構がとどまるかぎり、刑事責任の観念を導入しても、とうてい制止的と予防的効果を期待しうるものではない。
 一つの侵略戦争を計画することによって生ずる刑事責任に問われる危険率は、その計画された戦争に万一敗れた場合に、問われることのありうる刑事責任の危険率に比して、より重大となることは決してないのである」

 東京裁判連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの名において行われました。マッカーサーは昭和25年(1950年)10月15日にウェーキー島でトルーマン大統領と会談しています。そのとき次のように述べています。

戦争犯罪人などに手出ししてはいけない。うまくいくものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は戦争の抑止力にはならなかった(Don't touch the war criminals.It doesn't work.The Nurnberg trials and Tokyo trials were no deterrent.)」

 昭和23年(1948年)12月23日、東京裁判で戦犯とされた7名が処刑されました。それからわずか2年もたたないうちに朝鮮戦争が勃発しています。日本は赤化の防波堤の役割を果たしていたのに、連合国がそれを壊したため朝鮮戦争がおこったのです。東京裁判では見当違いな「戦争防止策」として日本の指導者を裁くという「戦争犯罪」が行われていたのでした。



参考文献
 WAC「日本は侵略国家だったのか『パル判決書』の真実」渡部昇一(著)
 講談社学術文庫「共同研究 パル判決書」東京裁判研究会(編)

添付画像
 東京裁判の光景(PD)

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