2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

おいでイスタンブール 〜 軍艦・金剛、比叡

大歓迎された日本人。 明治23年(1890年)9月16日、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県大島樫野先付近で台風のため座礁し、機関が爆発して約500名の乗組員が死亡するという悲劇がおきました。「エルトゥールル号事件」として知られています…

飛んでイスタンブール

日本とトルコの友好関係。 イスタンブールといえば庄野真代さんのヒット曲「飛んでイスタンブール」を思い浮かべる人が多いでしょう。昭和53年(1978年)のヒット曲です。歌詞の中に「光る砂漠でロール」「蜃気楼真昼の夢」とあり、砂漠のエキゾチック…

ライタイハンとは何か

ベトナムのライタイハンの問題。 1990年代、ノンフィクション作家の野村進氏がベトナムの職業訓練所の女子寮を訪ねると「アンニョン・ハシムニカ」と女学生が挨拶してきました。韓国人と間違えられたのです。女学生は学校で韓国語と英語を勉強していまし…

ダイハーンは恐ろしい連中だった 〜 ベトナム大虐殺

ベトナム戦争の韓国軍。 「ダイハーン(大韓)は恐ろしい連中だった」 90年代半ば、ノンフィクション作家の野村進氏がベトナムのカイホンホア省ニンホア県ラクアン村を訪れたとき、ブーン・スサという現地の人はこう述べました。「(ダイハーンは)死んだ…

消された記事「ベトナム大虐殺」

ameblo「ベトナム大虐殺」の記事が消された。 「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった 〜 ベトナム大虐殺」(※1)という記事を掲載しましたが、amebloのほうでは記事を参照できないようにされていました。(画像の通り ※2) 差別用語など使用してい…

韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった 〜 ベトナム大虐殺

残忍無比。ベトナム大虐殺。 「ダイハーン」・・・「ダイハーン」・・・ 90年代半ば、ノンフィクション作家の野村進氏がベトナムのカイホンホア省ニンホア県ラクアン村を訪れたとき、道端で笹餅や果物を売る老婆たちが上目遣いに「ダイハーン」とささやい…

新ベトナム人たちの戦い

新ベトナム人と呼ばれたベトナム独立に命をかけた日本人たちの戦い。 昭和20年(1945年)、第二次世界大戦終結後間もなく、ベトナムのサイゴンの街ではフランスの自警団とベトミン(ベトナム独立同盟)の小競り合いが続いていました。日本陸軍宣伝部に…

クォン・デ侯

ベトナム独立を目指した皇族クォン・デ侯。 クォン・デ(彊柢 畿外侯)侯はベトナム阮朝(ぐえんちょう)の皇族で、始祖、嘉隆帝(ザーロン)帝の五代目の直系王子です。 19世紀中ごろよりベトナムはフランスの圧倒的武力によって植民地支配されてきました…

明号作戦後のベトナム

明号作戦後、日本軍はいなくなった。ベトナムはどうしたか。 昭和20年(1945年)3月9日、日本軍はベトナムで明号作戦を発動。フランス軍を蹴散らし、ベトナムを植民地から解放しました。 ベトナム解放後のある日、陸軍宣伝部隊の佐野裕二さんはベト…

ベトナム解放!明号作戦

80年にわたる植民地支配の終焉。 昭和20年(1945年)2月のある日、ベトナムの日本陸軍宣伝部の佐野裕二氏は鈴木部長に呼ばれました。「これタイプしてくれないか」 佐野氏はフランス語で書かれた文をタイプしようとして驚きました。ベトナム独立宣…

天兵、越南に下る 〜 明号作戦

遂にやってきた天兵、冬兵団。 「フランス帝国主義の支配から、ベトナムを解放する救世主は日本以外にない」 日本に学べ!東遊(ドンズー)運動を展開した潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)は日本に学ぶベトナム人留学生にこのように教えていました。 ベトナム…

日本軍の仏印進駐

ベトナム解放近し! 昭和15年(1940年)9月、日本軍は北部仏印(フランス領インドシナ)へ進駐しました。これを教科書で「侵攻」などと書いているのもあり、侵略したかのように教えられていますが、それは戦後に作られたウソであり、松岡−アンリ協定…

生き続けた東遊(ドンズー)

ドンズーは現代でも生きている。 明治38年(1905年)6月、ベトナムの独立運動家、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)が来日しました。ベトナムはフランスの植民地支配下にあり、日露戦争でロシアを破った日本に学べ!と東遊(ドンズー)運動を展開し、ベ…

日本に学べ、潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の東遊運動

日露戦争後、アジアの国々から多くの人が日本に学びにきた。ベトナムも例外ではなかった。 明治38年(1905年)6月のある日、小田原の海岸に見慣れない一隻の船が到着しました。船から風采ただならぬ人物が出てきました。集まってきた漁師たちは声をか…