2009-12-01から1ヶ月間の記事一覧

弱小日本の科学の力「下瀬火薬」 〜 坂の上の雲

日露戦争において日本海海戦で連合艦隊に勝利をもたらした大きな要因のひとつとして下瀬火薬があげられます。結構有名な話でしょう。発明者の下瀬雅允は広島藩の出身で海軍の技師です。兵器製造所に勤務しました。その時の製造科の長が原田宗助という人で、…

辛勝だった陸上戦 〜 坂の上の雲

日露戦争の陸上戦の経過を追っていると奇跡に近いような勝ち方をしています。私の理解では日本海海戦は奇跡ではなく勝つべくして勝った、ですが、陸上戦の南山から奉天に至るまでの戦闘は奇跡と言えます。 地図がないとわかりにくいのですが、だいたい南から…

旅順戦の乃木将軍 〜 坂の上の雲

日露戦争の旅順攻防は有名な話で司馬遼太郎の「坂の上の雲」で乃木将軍を戦下手に描いていましたが、最近は見直されているようです。 旅順はロシアがコンクリートを用いて徹底的に要塞化しており、諸国はこのことを知っていたので永久要塞とみていました。し…

日露戦争の戦費調達 〜 坂の上の雲

1900年の義和団事件をきっかけに満州を制圧したロシアは更に朝鮮半島へ南下をしかけます。義和団事件以前の1896年にロシアと清は攻守同盟密約を行っており、大韓帝国(朝鮮)は一進会は日本支持ですが、高宗らの支配階級はロシア寄りでした。日本は…

海軍も南京にいた

1937年の南京戦では海軍も参加していたんですね。あまり知られていないかもしれません。海軍11戦隊が揚子江を上り、下関に到着して下船して13日には南京城内に入っています。 砲艦勢多艦長 寺崎隆司少佐 13日の午後3時15分です。中興碼頭には日…

南京の安全地帯

1937年11月の南京で国際委員会(ラーベ委員長)というのが作られ、中立地帯が作られます。ここは非武装中立地帯ですが、実際は軍事施設があり、国際委員会は蒋介石に軍事施設を撤退するよう求めますが、守られず、日本軍も非武装地帯としては認めませ…

戦時国際法から見た南京陥落後の支那兵

戦争時はハーグ陸戦法規という一定のルールがありました。「交戦者の資格」というものがあります。 1)部下の為に責任を負う者に在ること 2)遠方より認識し得べき固着の特殊標章を有すること(軍服などのことです) 3)公然兵器を携帯すること 4)その…

卑怯者の支那兵

1937年の第二次上海事件で、日本軍第三師団が上陸しようとしたとき桟橋の上に、日本の愛国婦人会のような多数の女性が、手に手に日の丸の小旗を持って迎えました。兵士は安心して次々に桟橋に降り立ちましたが、それまで並んでいた女性たちの姿はたちま…

天皇誕生日(天長節)の一般参賀

12月23日は天皇誕生日(天長節)で、一般参賀が行われます。一般参賀が行われるのは正月の1月2日があります。天皇誕生日では午前中の3回で午前10時20分頃,同11時頃及び同11時40分頃の3回が予定です。お出ましするのは天皇皇后両陛下,皇太子同妃両殿…

支那軍には女性がいた

支那軍には女性兵士がいたようです。1937年南京陥落時の日本の雑誌に記されています。 「画法躍進之日本」『南京陥落祝賀号』(GHQ焚書図書開封より) 夜が明けるとすぐ城門への突入がはじまった。前方には城壁を取り巻いて幅30メートルほどのクリ…

インチキ日本人らの南京ホラ作り

インチキ日本人というのは日本人でありながら日本の悪口ばかり言う人です。国家国民の恩恵を受けながら日本の悪口ばかり言い、日本が大嫌いなのに、日本に居座り続けます。こういう人は捏造、歪曲された日本の歴史を肯定し続けます。 南京虐殺というホラ話も…

「天皇陛下に申し訳ない」渡部氏

さすがに渡部恒三氏はよくわかっているようです。 渡部氏、面会問題で政権対応を批判 12月19日12時28分配信 TBS 「天皇陛下(との面会の)問題は政権交代とは何の関係もない。政権が代わったから、こうだ、ああだというのは日本の国体に関する問題で慎まなく…

マニフェスト破りで鳩山政権支持率急降下

鳩山政権の支持率が急降下しています。 支持続落、鳩山内閣…指導力不足・政権内きしみ 12月20日8時53分配信 読売新聞 読売新聞社の緊急全国世論調査で、鳩山内閣の支持率が発足以来、続落し、政権の足元の揺らぎが明らかになった。 米軍普天間飛行場の移設問…

敗残兵の処断が南京ホラ話につかわれる

1937年の南京事件は南京城内で民間人も含めて大量殺戮されたなどと主張している人はもう少ないようですが、敗残兵の処断を”南京大虐殺”としてホラ吹きまくる人はいるようです。もうこの時点でホロコースト並みの世界を震撼させた大虐殺とは次元の違う話…

南京ホラ話を東京裁判が取り上げた

1937年の南京事変を「国民党中央宣伝部」が日本軍の残忍な所業として宣伝本や新聞記者を使って宣伝しましたが、トンデモ話など信じられてはいませんでした。ところが戦後になって突然、東京裁判でとりあげられます。そして「真相箱」の放送によって日本…

南京からトンズラした大将

1937年の南京事変。南京戦は地理的にみると包囲されやすく殲滅されるおそれがあり、南京防衛は無理とされました。ドイツ軍事顧問団も南京の放棄を主張しました。12月7日、蒋介石、何應欽軍政部長ら政府首脳は市民と南京防衛軍をおきざりにして早くも…

天皇陛下への不敬に国民が怒った

宮内庁に支持メールが殺到しているようです。 小沢氏、改めて宮内庁長官批判 宮内庁には応援メール殺到 12月15日21時23分配信 産経新聞天皇陛下と習近平・中国国家副主席との会見を首相官邸側が「30日ルール」を破って実現した問題で、民主党の小沢一郎幹…

ダーディン記者が見た南京

1937年の南京事件を世界に伝えたといわれる「ニューヨーク・タイムズ」のダーディン記者は南京城内の日本軍の暴行を記事にしていますが、これは表の顔は南京大学教授、国際委員会で裏の顔は国民党政府顧問であったベイツ教授のレポートをもとにして書い…

南京ホラ話を最初にでっち上げたのは誰?

南京大虐殺という南京ホラ話を最初にでっち上げたのは誰でどのような目的だったのでしょうか。 これは蒋介石の国民党が「宣伝戦」によって世界が日本を敵視するようにするための戦略から始まっています。「国民党中央宣伝部」というのを創設しました。国民党…

暴走する政権

小沢氏の恫喝発言には驚き、呆れます。 「宮内庁長官は辞表出して言え」=天皇会見への関与否定−小沢氏 12月14日18時19分配信 時事通信 民主党の小沢一郎幹事長は14日午後、党本部で記者会見し、天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が特例的に設定された…

広島人のための南京ホラ話

私は中学校だったか、高校だったか忘れましたが、教科書に「世界三大虐殺」というのが記載されており、「アウシュビッツ」「広島・長崎」「南京」の三つが書かれていたのを覚えています。被害者が日本人である「広島」が書いてあるものの、加害者が日本人で…

NHKの反日工作は海外にも

ジャパンデビューで反日工作したNHKは最近も「日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか〜400時間の証言より〜」という番組でも反日宣伝しました。 慶応大学名誉教授の中村あきら氏によるとNHKはフランスでも反日番組を流しているようです。教授に届いたフ…

もう狂ったとしか言いようがない小沢氏

小沢民主党幹事長は訪問中の韓国で「現代史の中で不幸な時代があった。日本国、日本国民として謝罪しなければならない歴史的事実だ」と表明しています。そして外国人参政権を「政府提案で出すべきだと思っている。来年の通常国会にはそれが現実になるのでは…

人民解放軍、野戦の軍司令官 小沢一郎氏

産経新聞には以下の記事があった模様です。中共を訪問している民主党の小沢幹事長が胡錦濤氏(中国共産党総書記)に以下を伝えました。小沢氏は会談後、記者団に対し、来夏の参院選について胡氏に、「こちらのお国(中国)に例えれば、解放の戦いはまだ済ん…

国民は抗議すべき!

中共の習近平国家副主席が天皇陛下に謁見するというのが、急遽決まりました。天皇陛下への謁見は1ヶ月前に申し出るのがルールなのにゴリ押ししたのです。 「二度とあってほしくない」=陛下と中国副主席の会見設定で宮内庁長官 12月12日0時56分配信 時事通…

敗走する支那軍の蛮行 − 上海

1937年11月5日、上海南方60キロメートルの杭州湾に面した金山衛に日本の第十軍が上陸。上海の街に「日本百万上陸杭州北岸」と縫い上げたアドバルーンがあげられました。これには支那軍が大きく動揺。9日には一気に崩れ、退却を開始します。退却と…

上陸部隊の大苦戦 − 第二次上海事変

コミンテルンのスパイだった国民党の張治中は対日戦に備えて、上海の陣地構築を行い、軍事輸送のための車両と船舶を支配下におき、食料を作戦予定地に蓄えておくよう政府に要請しました。衝突が起これば、4,5師を上海正面に投入し、日本の陸戦隊を一気に…

鳴門丸の奇跡の太平洋脱出

1941年(昭和16年)10月25日に鳴門丸という貨客船がメキシコシティを出航しています。最後の帰国船です(米への入港は拒否されている)。この年の7月には日本海軍は商船の引き上げを命令し、船団の編成を行っています。米国はパナマ運河を封鎖し…

真珠湾の朝

昭和18年4月に米のブレーク・クラークという人の著「真珠湾」が翻訳出版されています。戦時中に翻訳出版されていることにちょっと驚きますね。GHQ焚書図書開封より ふいに、ヤマトという日本人が駆け込んできた。 「飛行機が、えらく沢山やってきまし…

緊張が走る真珠湾

1941年(昭和16年)11月26日ハル・ノートは事実上の最後通告であり、開戦が決定づけられました。この年の1月24日の時点ですでに米海軍長官のノックスは陸軍長官のスティムソンに「日米開戦は必至」と伝えており、「そのとき日本側は必ず真珠湾…