2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧

コソコソっと外国人参政権

なにやら与党民主党がコソコソと始めています。 政府答弁書、外国人参政権への見解変更 産経新聞 10月29日(金)18時37分配信 政府は29日の閣議で、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与について、憲法上禁止されているものではないとした平成7年の最高…

満州王朝から見た満州建国への道

満州王朝は独自の意思で歩んでいった。その先に日本がいた。 1931年(昭和6年)に上海の米国の副領事として支那にわたったラルフ・タウンゼントは支那の混乱ぶりを以下のように書いています。 「これは世界史上類例のないことである。血の海に膝までつ…

ラストエンペラー

満州王朝の視点でも歴史を見る必要がある。 映画になったのでご存知の人も多いでしょう。愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)清朝第12代にして最後の皇帝で初代満州帝国皇帝です。清朝皇帝についたのは1908年10月です。わずか3歳だったので、摂政…

さらに続く日清戦争までの歴史抹殺手法

日本が大嫌いな人の歴史記述は「抹殺手法」が主流。 梅田正巳著「近代日本の戦争」は「田母神論文」の「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」を検証するため日清戦争の…

戦前は恐ろしい社会だったと教えられた戦後日本人

戦前は普通。旧ソ連や中共、北朝鮮のような恐ろしい国ではありません。 小林よしのり著「天皇論」の中で小林氏が美容室で髪を切ってもらっているとき、美容師と世間話になり、その美容師がこんなことを述べていたと書いています。 「北朝鮮、危ないですよね…

金玉均のクーデターを無視

朝鮮独立の志士、金玉均の光は眩しいから抹殺。 梅田正巳著「近代日本の戦争」では「田母神論文」の「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」を検証に対するため、明治1…

インドネシア独立へ

大東亜戦争中、インドネシアでは日本軍がオランダ軍ら連合軍を破り、軍政を敷いていました。昭和19年(1944年)9月、小磯内閣は「将来、独立を許容する用意がある」と声明を発表。昭和20年3月には独立準備調査会を設置。共和制の採択、憲法の草案…

歴史は虹のようなもの

虹が見れない日本人。 「歴史は虹のようなものだ」・・・イギリスの学者、オーエン・バーフィールド氏がこのように述べています。上智大学名誉教授の渡部昇一氏はこのバーフィールド氏の比喩を次のように解説しています。「彼は『歴史的事実』と『国史』すな…

巧妙なブログ荒らしにご用心

最近、Yahooブログのほうにブログ荒らしが来るようになりました。これまでは、コメント欄に嫌がらせを書くタイプがほとんどでしたが、今回は巧妙なブログ荒らしの登場です。F氏としておきましょう。このF氏について、ネット検索したところ、やはりあちこち…

愛国心と誇りを持ったインドネシア人

今度は日本が学ぶ番。 大東亜戦争中、インドネシアは日本軍が軍政を敷いていました。この軍政ではインドネシア語を公用語とし、PETAという郷土防衛義勇軍を創ってその中で士官学校の内容を取り入れ教育し、官吏学校、医科大学、農家大学などを設立し、1…

壬午軍乱での日本人被害を抹消

日本人が被害を受けたことは知られたくない! 明治15年(1882年)に壬午軍乱がおきます。李朝は新式の軍編成を行い、日本軍人の堀本少尉を教官にして訓練を行いました。これには装備が旧式のままの古兵が不満を持ちます。さらに俸給米の支給が滞ってお…

日朝修好通商条約は不平等なのか

経緯を無視する歴史記述。 梅田正巳著「近代日本の戦争」では明治9年(1876年)の日朝修好条規を「日本が外国と結ばされた条約を上回る不平等条約でした」と述べています。P59 前述の江華島事件のよく1876(明治9)年、日本は黒田清隆が全権大使となり…

インドネシアの軍政

軍政は悪だったのか? 大東亜戦争中、日本軍はインドネシアに軍政を敷きました。戦後、日本人は日本悪玉論を刷り込まれたので、「軍政」というと悪いイメージを持つでしょうし、村山談話にあるような「アジアの人を苦しめた」というアジア全域を指すかのよう…

あまりにも醜いNHKの尖閣デモ報道

人間どうなったら此処まで醜い報道ができるようになるのでしょうか。 NHKは16日20:45に尖閣デモの報道を行いました。3分の間のうち、中共の反日デモ約2分20秒も使い、そこから約10秒もこの「日本右翼」の文字を表示し続けたのです。その10…

神嘗祭

天皇陛下は祭祀王です。 10月17日は神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)です。神宮(伊勢神宮)と宮中の祭礼です。最も清浄な召し上がりものを意味する「由貴大御饌(ゆきのおほみけ)」と称する新穀を供えます。神宮へは皇室か…

江華島事件に見られる背景抹殺手法

よく見られる歴史抹殺手法。 梅田正巳著「近代日本の戦争」では1875年(明治8年)の江華島事件(P47)について公式報告には飲み水を求めて入港したところ、突然砲撃され戦闘になったとしてあるが、実は報告書はあとで書き換えられたもので、飲み水が…

広島人が知ってはならない?歴史 〜 被爆したインドネシア人

劣情広島人が知ってはならない歴史。 昭和18年、「大東亜共栄圏を担う人材育成」のために南方特別留学生というミャンマー、インドネシア、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、フィリピン、タイから学生が来日します。この中にハッサン・ラハヤ氏というイ…

「アジア情勢」と「国家」が抜け落ちた台湾出兵に関する言及

日本は侵略される側だった。 梅田正巳著「近代日本の戦争」の台湾出兵の述べている箇所です。(P33) だいたい、事件(牡丹社事件)が起こったのは1871年11月、出兵したのは74年5月です。この間2年半もたっています。どうしてそうなったのか。ま…

漁船衝突ビデオに何が映っているのか

政府は何を隠しているのか。 漁船衝突ビデオが非公開となっていますが、ここまで固執するのはなぜでしょうか。 漁船衝突ビデオ 公開先延ばし・責任押し付け…政府、国民無視の対中配慮 産経ニュース 2010.10.8 23:55 沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の…

伊藤博文暗殺の真相は?

伊藤暗殺は安重根が犯人ではなかった。 日露戦争終了直後の明治38年(1905年)11月17日、日本と大韓帝国の保護条約の方針が発表されると、韓国統監府が設置されることになり、伊藤博文が初代統監に就任しました。この頃、韓国の民衆パワーは公称1…

今村均とスカルノ

日本と深い縁があるスカルノ元大統領。 大東亜戦争中、インドネシアは日本軍16軍がオランダら連合軍を打ち負かし、軍政を敷きました。このとき、インドネシア国民党の指導者、スカルノが政治犯としてスマトラ島のベンクルに流刑となっていました。そうする…

牡丹社事件、アサヒる?

アサヒりましたか? 梅田正巳著「近代日本の戦争」では1874年(明治6年)の台湾出兵について述べています。(P31)この中で牡丹社事件をあげています。牡丹社事件は宮古島の船が漂流して台湾に流れ着いて、原住民に54人が殺害される事件です。この…

やはりプレスコードは生きていた

GHQの呪縛から逃れられないマスコミ。 先週末に行われた反中デモは2700人が参加して大規模なデモになりましたが、日本のマスコミは報道しませんでした。 反中国デモ「報道せず」のなぜ 外国主要メディアは次々報道 J-CASTニュース 10月4日(月)20時52…

曖昧さに対して突っ込みを入れた梅田氏

プロが素人に対しての不可解なツッコミ。 梅田正巳著「近代日本の戦争」では田母神論文の「日本は相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない、というのは本当か」(P25)を取り上げて、それを検証する試みを行っています。 田母神論文より ア メ …

トアン、テレマカシ 〜 インドネシア

八紘一宇の精神。 大東亜戦争序盤の昭和17年(1942年)3月1日、日本軍はインドネシアのバンタム湾からジャワ島へ上陸します。しかし、道路を通ろうにも両脇のタマリンドという豆科植物の高い木々が爆破され路上に倒されており、自動車や馬はもちろん…

万歳、ありがとう 〜 インドネシア

インドネシアからみた大東亜戦争。 昭和16年(1941年)12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃し、米英に宣戦布告。このときオランダは除外していましたが、オランダが12月10日に戦争状態であることを宣言。日本はスイスを通じて工作を行いましたが、オ…

オトポール事件

日本のシンドラー樋口 1936年(昭和11年) 11月 日独防共協定 1937年(昭和12年) 12月 第1回極東ユダヤ人大会 樋口、安江が出席 1938年(昭和13年) 1月 関東軍「現下ニ於ケル対猶太(ユダヤ)民族施策要領」を策定 3月 オトポール…