2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

アメリカよ、恥を知れ!

あちこちのブログで掲載されているのでご存知の方も多いと思います。テキサス親父が正論を述べています。http://http://www.youtube.com/watch?v=oSCcC42G9DA http://www.youtube.com/watch?v=oSCcC42G9DAcoffeeさんのブログでテキストにしてくれていたので…

歴史を貧困にみたらあかん

上智大学の名誉教授、渡部昇一さんは、「歴史というものは暗くも明るくも語れる。史実の並べ方ではどうにでもなる」と述べています。アメリカの明るい歴史 「信仰の自由を求める聖なる有志ピルグリム・ファーザーズが苦労シナあら独立宣言をし、憲法をつくり…

英霊は心ならずも命を落としたのではない

つわ者は今日も死にてあり菖蒲節 日本学芸新聞にある作家がこの句を載せたところ「人間親鸞」という本を書いた石丸梧平氏が怒って以下のように書きました。 「生死直面」石丸梧平 昭和15年3月(GHQ焚書図書開封3) 「今日も死にてあり」というのは、…

社会主義の決起 二・二六事件

昭和11年(1936年)2月26日、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げてクーデターを起そうとしました。これらの陸軍将校らの思想は実は社会主義だったんですね。昭和6年(1931年…

加藤隼戦闘隊

加藤健夫率いる加藤隼戦闘隊はシナ事変、ノモンハン事件、マレー戦、ビルマ戦で活躍しました。加藤部隊はシンガポール航空撃滅戦、ジャワ航空戦、ビルマ・ロイウィン攻撃では一旦出撃して一撃を与え、帰還すると直ぐ出撃して再攻撃するというピストン攻撃を…

インパール作戦は無謀だったのか

インパール作戦は補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦とよく言われます。しかし、作戦そのものはアラカン山脈を越えて奇襲攻撃をかけるもので、この一撃の成否であり、それまでの補給が間に合えばよい話です。 33師団は自動車輸送が期待できましたが、3…

反対がほとんどだったインパール作戦

インパール作戦は1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことです。 この背景にはチャンドラ・ボースら自由インド国民軍「インド解放」の動きも後押しし…

竹島の日

昭和27年(1952年)1月18日、韓国は公海上に「李承晩ライン」を宣言し、昭和28年2月27日には竹島の領有に関する声明を発表。昭和29年9月に竹島を不法占拠しました。 昭和28年(1953年)には「漁業資源保護法」を制定して、日本漁船を…

皇室・皇族方への敬称のつけかた

マスコミの皇室報道の中で「雅子さま」「悠仁さま(ひさひとさま)」と「さま」の敬称をつけていますが、これは本来の敬称ではありません。 ×「雅子さま」 ○「雅子妃」「雅子妃殿下」「皇太子妃殿下」 ×「悠仁さま」 ○「悠仁親王」「悠仁親王殿下」 ×「愛子…

「天皇論」は女系天皇容認派?

小林よしのり著「天皇論」では女系天皇について以下のように述べています。「たとえ将来、女系天皇が誕生するようなことになっても、わしは失望しない。益々国民が天皇に注目し、敬愛を深め、かえって伝統が強化されることだってあるかもしれない。 そうなる…

日本人はマスターと呼ばれていた

ジャーナリスト高山正之氏はアジアハイウェー踏査隊としてアジア諸国を回ったとき、東南アジアでは日本人はおおむね白人扱いだったと述べています。ベトナムではこっちが日本人とわかると「マスター、マスター」と呼びかけてくれたといいます。1980年代…

日本人は人間の範疇ではなかった

会田雄次氏は1943年に応召しビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍。終戦でイギリス軍の捕虜となり1947年に復員するまでラングーンで拘留されました。このときの体験を「アーロン収容所」という本に残しています。 会田氏は部屋の清掃係となり、女兵舎の…

英軍の日本兵捕虜の虐殺

1944年(昭和19年)3月インパール作戦が発動されます。この頃は既に米国から英軍にM4戦車などの優秀な装備が手渡されており、日本の対戦車砲は歯が立たず、2ヶ月にわたる激戦の末、日本軍は撤退します。そしてここから英軍は日本軍を追撃していき…

閔妃は国母ではない

閔妃(ミンビ、びんぴ)は李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃です。高宗の父、大院君が親戚の娘である閔妃を選び、王妃にしたのですが、とんだ誤算で閔妃は義兄の閔升鎬と組んで舅である大院君を権力から追い出し、実権を握ることになります。大院君は隠居。大院…

韓国の狂気の民族意識

「日本の植民地時代に民族の解放のため犠牲となった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し、国を建てたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。…

相撲と神話

昨年、生まれて始めて両国国技館で大相撲を観戦しました。正面のマス席だったので大相撲の迫力を十分堪能できました。 相撲の起源は日本書記では垂仁天皇(すいにんてんのう 11代)の時代にあたるとされており、出雲出身のノミノスクネが強力で知られるタ…

やはり韓国民のための政治家だった

以前から、小沢一郎氏は韓国人ではないかという噂があったが、やはりその流れだったようです。1/25国民新聞 清水千葉大学名誉教授 (風林火山 http://ochimusya.at.webry.info/201002/article_5.html より) この内閣が中国、韓国寄りになるのはそのリー…

アメリカは昔も今も腹黒い

アメリカの独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンは「人類は等しくつくられた」と言いましたが、彼は黒人の女性奴隷を所有し、子を孕ませています。 リンカーンは黒人奴隷制の廃止を宣言したことで有名ですが、彼はダコタ族の討伐命令を下し、集団処刑…

天皇皇后両陛下の福祉施設訪問と被災地お見舞い

天皇皇后両陛下は年3回福祉施設をご訪問されています。 子供の日前後・・・児童福祉施設 敬老の日前後・・・高齢者福祉施設 障害者週間前後(12月3〜9日)障害者福祉施設 このほか両陛下は皇太子時代より特に思いをかけられていることにハンセン病患者…

紀元節

本日は建国記念日です。これは紀元節といい、神武天皇が即位したとされる日(紀元前660年2月11日)です。 神武天皇(カムヤマトイハレビコ)は天下を治めるためにふさわしい地を探して兄のイツセと東への東征を行いました。九州の高千穂の宮を出発、海路、宇…

宮中祭祀を蹂躙する人たち

天皇陛下は国民の安寧と五穀豊穣を祈る祭祀王です。ですから祭祀が天皇陛下の本質です。西洋の王、貴族がうなるような財力と武力で民を従えさせていたのとは異なり、天皇は日本の成立と同時に自然に形成され、民のために祈る存在として国を治めました。しか…

ならずもの韓国人が被害者になった歴史

戦後、朝鮮人、台湾人はGHQにより三国人と位置づけされ、それぞれ内地から朝鮮半島、台湾へ戻す政策がとられましたが、内地に居残った朝鮮人がいました。彼らの中から「朝鮮進駐軍」と称して横暴の限りを尽くす集団が現れました。「直江津駅リンチ殺人事…

従軍慰安婦というウソ

従軍慰安婦・・・この言葉は戦後捏造されたものです。「慰安婦」という言葉すらあまり使われていなかったようです。戦前は「慰安所」という言葉があり、そこで働く女性は「おんな」と呼ばれていました。慰安所業者は軍のそばで商売すれば儲かるので慰安所を…

銃後の心

「人間親鸞」という本を書いた石丸梧平氏のもとにわが子を失った両親が相談にくる話が西尾幹二著「GHQ焚書図書開封3」に載っていました。その両親の言葉をちょっと引用します。 「生死直面」石丸梧平 昭和15年3月 私の一人息子が戦死をいたしました。…

戦場の情景

西尾幹二著の「GHQ焚書図書開封」の中で芥川賞作家の火野葦平さんの著が紹介されており、いままで知らなかった戦場の情景を知ることができました。戦後語られている戦場というものは恐ろしいところで、悲惨極まりない、といったところだけ焦点が行きがち…

支那の残虐文明に慄然とした日本兵

大阪毎日の記者・松村益二という人の「一等兵戦死」(昭和13年10月)という召集で戦地にいった記録、随筆に支那事変のときの支那軍の残虐さが書かれており、GHQ焚書図書開封3で紹介されています。 僕の目にやきついている残虐の場面は記しておかなけ…

日本軍の現地徴発

以前、NNNが「兵士たちが記録した南京大虐殺」というのを放映していましたが、ひどい内容でした。その中で兵士が現地徴発を行ったと述べており、上海から南京へ向かう間にあたかも民間から略奪、強奪したかのように報じていました。実際に日本軍が現地徴…

上海、南京、更に支那軍の蛮行は続く

1937年の第二次上海事変で敗走した支那軍は上海から南京へかけて民間からの掠奪行為を繰り広げたばかりでなく、湯山から南京へ向けての農村地区ではほとんどの建物に火がつけられました。農村だけでなく南京城周辺の小さな街も焼き払われました。ニュー…

韓国の文化を復活させたのは日本

日韓合邦によって日帝が韓国の伝統文化を破壊し、文化財の掠奪を行ったとか、姓を奪い、文字を奪ったというのは真っ赤なウソで、伝統文化を破壊したのは韓国人自身であり、文化を復活させたのは日本です。 韓国はシナの千年属国でしたから、易姓革命を受け継…

政治圧力による捏造歴史の見本

結局は中共の政治的意図に振らされてしまって捏造歴史を認めてしまっています。これなら決裂のほうがマシです。 日中歴史共同研究 日本側「苦渋の譲歩」中国側、繰り返し圧力 2月1日7時56分配信 産経新聞 歴史認識問題を政治から切り離し、日中の関係改善に…