2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

国民主権病(GHQ憲法病)

国民主権は傲慢不遜な国民をつくった。 昭和21年(1946年)2月26日、定例閣議上で、憲法改正のマッカーサー草案の外務省訳が配られました。そして幣原首相が読み始め、読み終わると、どよめきが起こりました。「このままでは大変なことになる」とい…

昭和の日

国民とともにあられた昭和天皇。 「昭和の日」は昭和天皇崩御後は「みどりの日」と制定されていましたが、平成17年(2006年)になってやっと「昭和の日」に改定されました。 宮中には水田があり、天皇陛下ご自身が田植え、稲刈りをされますが、これを…

主権回復の日 〜 GHQ憲法を破棄せよ!

日本に主権がない期間があった。 上智大学名誉教授の渡部昇一氏は東京裁判は日本を蝕む梅毒のようなものとして、その根治方法の一つに「独立回復記念日」を制定することを提唱しています(ただし、沖縄復帰もあわせて考える必要あり)。日本には昭和20年(…

GHQ憲法は共産主義者の作文

共産主義者の作文に日本側は仰天した。 昭和21年(1946年)2月13日、突然、GHQは日本の憲法にとマッカーサー草案を突きつけました。当初は「土地その他の天然資源は国有とする」などという条項もあり、明らかにアカ(共産主義)です。 松本国務…

トンデモ裁判、沖縄集団自決訴訟大江側の勝訴確定

トンデモ裁判を正しく理解できるのか。 沖縄集団自決訴訟 大江健三郎さん側の勝訴確定 最高裁 2011.4.22 13:01 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとするノーベル賞作家、大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、旧日本軍…

GHQはGo Home Quicklyだ! 〜 GHQ憲法をめぐる戦い

原子力の陽光という脅し。 昭和21年2月13日、外務省官邸に吉田外相、松本国務相・終戦連絡中央事務局次長・白洲次郎、外務省嘱託・長谷川元吉が集まっていました。GHQ民政局に日本の憲法草案(松本案)を説明するためです。ところが、GHQ民政局の…

韓国との友好交流という大きな勘違い

一方的な外交は友好には成り得ない。ただの売国。 日韓図書協定:今国会で承認へ 1205冊引き渡し 植民地時代(※1)に日本に渡った「朝鮮王室儀軌」など朝鮮半島由来の図書1205冊を韓国政府に引き渡す「日韓図書協定」が今国会で承認される見通しに…

自衛隊支持率95%

やっぱり我らの自衛隊。 毎日新聞世論調査の記事抜粋 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110418ddm001040064000c.html ◇自衛隊の活動、評価する95% 震災対応を巡り、「菅直人首相はリーダーシップを発揮していない」との回答は78%を占めた…

チェルノブイリ原発事故被災者救済「五井野プロシジャー」

日本にこのやうな人がゐたとは。 陸上自衛隊一佐の池田整冶氏著「マインドコントロール」を読んでみて驚きました。 五井野正博士。 この人はロシアの火星計画(マーズ・プロジェクト)燃料開発を手がけて成功させたというのはご存知の方も多いかもしれません…

GHQ憲法作成密室の7日間

昭和21年(1946年)2月3日、GHQ総司令官マッカーサーはホイットニー民政局長を呼んでこういいました。「憲法改正草案の作成を命ずる」 草案作成作業は2月12日までに終えるようにとの通達でした。わずか9日間しかありません。これには理由があ…

ケーディスという男〜 GHQ憲法の仕掛け人

日本の伝統を破壊し、共産革命へ導こうとした首魁。GHQ憲法の仕掛け人。 白洲次郎は戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合った人です。次郎は次長に抜擢された当初「敵を知り己を知らねば」と考え、GHQ民政局に入り浸ります。「ミルクマン…

ホイットニーという男 〜 GHQ憲法の仕掛け人

GHQ憲法仕掛け人の大御所、ホイットニー。 コートニー・ホイットニーは日本の被占領時代にGHQの民政局の局長をやっていた人です。GHQ憲法はこの人が指揮して草案したもので、ホイットニーの部下のケーディス大佐が首魁です。戦時中はマッカーサーに…

マッカーサーを叱った男

白洲次郎は本当にマッカーサーを叱ったのか? 白洲次郎は戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合いGHQ憲法の押し付けに最後まで抵抗した人、通産省立ち上げなどに尽力した人として知られています。この人は「マッカーサーを叱った男」とも言わ…

白洲次郎は実は弱虫だった?

実は東京空襲が怖かっただけ? 白洲次郎は戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合いGHQ憲法の押し付けに最後まで抵抗した人、通産省立ち上げなどに尽力した人として知られています。次郎は昭和16年(1941年)日米が開戦すると「今に見て…

白洲次郎と正子

不思議な夫婦。 白洲次郎は戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合いGHQ憲法の押し付けに最後まで抵抗した人、通産省立ち上げなどに尽力した人として知られています。奥さんの正子はエッセイストとして有名で、日本の伝統美を追求し続けた”美…

白洲次郎は傲慢な人だったのか

白洲次郎とは。 テレビドラマになりましたので、白洲次郎の話は随分と知られているでしょう。戦後、終戦連絡中央事務局次長としてGHQと渡り合いGHQ憲法の押し付けに最後まで抵抗しました。 育ちのいいボンボンで学校へ行っていた頃は成績表に「やや傲…

大東亜会議に出席できなかった国

マレー・インドネシアの独立が遅れたわけ。 昭和18年(1943年)11月5日、東京で大東亜会議が開かれました。日本が主催した世界最初のアジアサミットです。残念ながらこの会議に出席できなかった国があります。マレー・インドネシアがあります。この…

大東亜会議

それは歴史に残る初のアジアサミットでした。 昭和18年(1943年)11月5日、東京で大東亜会議が開かれました。日本が主催した世界最初のアジアサミットです。歴史的出来事です。アジアの自主独立を旗印とし、各国代表演説が行われ、共同宣言を満場一…

恩義を忘れないフィリピン人

日本とフィリピンの共通性があった。 昭和16年(1945年)12月8日、大東亜戦争・日米が開戦し、日本軍はフィリピンに進攻します。翌17年5月7日にはコレヒドール島を攻略します。ミンダナオ島の米比連合軍3万もシャープ総軍ほか6,000名が戦…

ヒーローが敗れた日 〜 フィリピン戦

アメリカは絶対的ヒーローだとマインドコントロールされたフィリピン人。 昭和16年(1941年)12月8日、日本軍戦闘機34機、陸攻53機がフィリピンのクラーク飛行場を、戦闘機51機、陸攻53機がイバ飛行場を襲い、アメリカ軍はB−17 18機、…

フィリピンは親日か

フィリピンは反日だと教えられてこなかったか? 私は以前はフィリピンはどちらかというと反日の国だと思っていましたが、あるとき、フィリピンの独立記念ポスターに日本軍がアジアを開放していることが描かれているのを見てびっくりしたものです。 フィリピ…

リカルテ将軍

フィリピンの英雄リカルテ将軍は日本と深い縁があった。 フィリピンは長い間スペインの植民地でしたが、1898年米西戦争が始まるとアメリカがフィリピンに極東艦隊を派遣し、デューイ提督はマニラ湾に入ってきて、「我々はフィリピン独立軍を援助する」と…

イランから招待された海上自衛隊 〜 ペルシャ湾の掃海部隊

日本にしか出来ないことがあるはず。 平成2年(1990年)の湾岸戦争後、日本海上自衛隊は掃海部隊を派遣し、残された機雷を処理しています。自衛隊員たちは過酷な環境下で危険な作業を行いました。ペルシャ湾は日本では経験できない40度の高温であり、…