2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ゲシュタポの言論監視時代が来る

西暦20XX年のある日、私のもとに人権委員会と名乗る人が訪ねてきます。「JJ太郎さんですね。あなたは中国人、韓国人の歴史的残虐性についてブログに書かれましたね。日本に住んでいる中国人、韓国人から感情を傷つけられ、しかも民族差別であると訴え…

小沢人民共和国

民主党の土屋たかゆき都議がWILL2010年1月号で民主党内事情を暴露しています。議論は封じられ全体主義政党になっていると述べています。マニフェストには「議論の到達点」と書いてありますが、本当は議論がつくされていないのが実態、と言っていま…

鳩山不況か

昨日は円が一時84円台、日経平均は200日移動平均を割るという異常事態。ドバイショックの影響ですが、このところ日本株の独歩安は異常です。 株価は半年先を読みますので私たちの暮らしを考えると、来年の夏のボーナスも期待薄ということになります。住…

ジパノフォビア

教育学博士の若狭和朋さんは16世紀に最盛期となった「太陽の没することなき帝国」スペイン大帝国はイスパノフォビア(スペイン嫌悪)という自虐に陥り凋落していったと述べています。 イギリスを自慢しているやつはイギリス人だ。 ドイツの悪口を言ってい…

仕分け劇場の誤算?

私は普段TVは見ないのですが、朝は車を運転するので、音声を聞いています。昨日、フジテレビだったと思いますが、仕分け劇場について小倉さんが怒っていました。五輪選手の強化予算がカットされたからです。たしか目覚ましTVでも報じていました。日本の強化…

「日本人は生存に値しない」ハル・ノート

1941年11月26日、8ヶ月にわたる日米交渉の末、突然提示されたのはハル・ノートでした。このノートを書いたのはハリー・D・ホワイトという財務長官補佐でソ連NKVD(後のKGB)の展開した「雪工作」の対象者です。1948年7月末に下院の非…

友愛事件の解明を願う

逮捕ではなく、在宅起訴のようです。 偽装献金問題、虚偽記入総額は2億数千万円 11月25日6時15分配信 読売新聞 鳩山首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」の偽装献金問題で、虚偽記入の総額が2億数千万円に上ることがわかった。 東京地検特捜部は虚偽記入…

仕分け劇場

財務省が書いたシナリオに政治家が演じる仕分け劇場の第二幕がスタートしました。ヒロイン役は引き続き元クラリオンガールのあの人です。マスコミは飛びついて報道しています。悪代官をやっつける政治家に視聴者は拍手喝采です。 あれ?4年前にも劇場型政治…

東條内閣誕生

昭和16年(1941年)10月18日に東條英機は第四十代内閣総理大臣に就任します。東條英機は近衛内閣のときには陸軍大臣でした。日米交渉にかける近衛首相は支那からの撤兵の譲歩が必要だと東條英機を説得しますが、東條英機はガンとして受け付けませ…

よもの海

1941年7月31日、永野修身軍令部総長(海軍)は昭和天皇に主戦論を言上します。石油の備蓄は約2年であり、ジリ貧になるくらいなら機先を制して抗戦する論が有力になってきたのです。 そこで近衛首相はホノルルでの日米首脳会談に打って出ます。及川海…

新嘗祭

本日は「勤労感謝の日」と言われていますが、いったい誰が誰に感謝するのでしょう。WikiPediaを見ると 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことを趣旨としている。1948年(昭和23年)公布・施行の祝…

二・二八事件 決起したのは日本人?

戦後の台湾は支那人による汚職、不正が横行し、支那人は台湾人を差別、迫害を徹底して行い、政府の役人、官憲は支那人に占められました。「犬(日本人)が去って豚(支那人)が来たり」と言われたそうです。犬はうるさいが守ってくれる。豚は働かずたたむさ…

日本敗戦後の台湾の支那兵

昭和20年8月の日本敗戦後の在日の台湾人は朝鮮人とともにGHQより「三国人」(the third nation)と言われていました。台湾人の場合は台湾は中華民国になるので「戦勝国民」とされ、在日台湾人は台湾へ帰ることになります。ところが台湾に帰った台湾人は…

日本を締め上げ挑発せよ

米国が日本が開戦に踏み切るよう先に手を出させるように挑発した行為にハルノートや禁輸措置があげられます。1940年10月作成のマッカラムメモランダムにはオランダが日本資源を提供しないよう働きかけるというのがあります。1940年秋から1941…

マッカラムメモランダム

米海軍情報部極東課長のアーサー・H・マッカラム海軍少佐は1898年長崎に生まれました。少年時代は日本の諸都市で過ごし、日本文化を理解し、18歳のときに米海軍兵学校に入学し、卒業後、駐日アメリカ大使館付海軍武官を命ぜられて来日します。米大使…

日露戦争後の米の日本打倒計画

日露戦争中に米は陸海軍合同で米英日連合軍と露仏独の連合軍が極東で戦う想定で図上演習を反復し、結果、米海軍は極東では極めて非力の結論に達します。しかもロシア海軍を欠いた海戦では日本海軍は単独でも独仏海軍に勝利できるという結論がでて衝撃をうけ…

GHQ憲法九条から生まれた悲しいウソ

1990年以降、ワシントンの国立公文書館でCIAの前身にあたるOSSの機密文書が再調査されています。これによると「日本計画」といわれる対外基本戦略が作成されていることがわかっています。このOSSが知識人向けのマルクス主義と言われる「フラン…

GHQが誕生させた教育破壊組織「日教組」

昭和5年、非合法で発足した日本教育労働者組合はマルクス・レーニン主義を綱領に掲げました。しかし、昭和8年に関係教員が大量検挙され挫折します。そのため地下に潜るようになります。 これが一気に表に出てきたのはGHQのおかげでした。昭和20年10…

華やかな馬車が通る「信任状捧呈式」

新任の外国の特命全権大使はその国の元首が発する「信任状」を持参し、日本の元首に捧呈します。日本の元首は言うまでもなく、天皇陛下です。憲法に明文化されていなくても国際常識なのです。日本の外交官も海外へ大使などとして派遣される場合は、天皇の認…

日本のシンドラーに助けられたユダヤ人

日本のシンドラー杉原千畝に助けられたユダヤ人は戦後、杉原を捜しますが、日本の外務省に照会しますが、「該当なし」を返されます。これは杉原がユダヤ人に「センポ・スギハラ」と教えていたためと言われています。しかし「リトアニアの領事代理のスギハラ…

日本のシンドラー 東條英機

昭和13年(1938年)2月、ナチス・ドイツの迫害から逃れた大量のユダヤ人難民の第一陣がシベリア鉄道に揺られて満州国の最北端の満州里駅のすぐソ連側にあるオトポールに到着しました。その数は2万人にまで膨れ上がります。ソ連は難民の受け入れを拒…

日本のシンドラー 杉原千畝

「6,000人を救った命のビザ」で杉原千畝は大変有名だと思います。 1940年7月、ナチスドイツに追われたユダヤ人たちはリトアニアに逃れ、日本の領事代理だった杉原千畝に日本通過ビザを求めて殺到します。しかし、日本外務省は行き先国の入国手続き…

チベット大虐殺に加担する日本のODA

昨年のチベットでの騒乱による死亡者数は220名とされています。また、重傷者は1294名、逮捕者は5600名、290名が刑を言い渡され、2009年1月の時点で1000名以上が行方不明です。チベット大虐殺は現在進行形なのです。 中共は西部開発を…

チベット大虐殺に加担したマスコミ

諸君2000年6月『チベット侵略を礼賛した岩波新書の”迷書”』潮匡人と岩田温氏の記事より新聞報道部分など抜粋してみます。 朝日新聞(昭和26年6月3日)17条協定 チベット軍も人民解放軍に編入され、またチベットには軍政委員会と軍区司令部が置か…

チベット人への洗脳教育

中共ではチベット人にチベットの伝統や文化はほとんど教えず、ダライ・ラマ法王を「国家分裂主義者」と批判しています。西蔵ツワンさんは日本でお医者さんになっていますが、子供の頃、洗脳教育を受け、その後父親に連れられて命がけでヒマラヤを越えて亡命…

チベットと同様に日本を侵略せよ!大中華侵略思想

1995年、中共の李鵬首相はAPECでオーストラリアのキーティング首相(当時)に「日本などという国は40年後には消えてなくなる」と発言しました。 北京週報(1989年2月21日)チベット独立論に反論する 周知のように中国は昔から一つの多民族国家である。…

悪魔の民族浄化政策 − チベット大虐殺

「卵管を根元から引き出したときの苦しみといったら・・・耐え難いものでした。」 チベット人女性が無理やり不妊手術を受けさせられた話です。麻酔などつかわず、卵管を引っ張り出し、切除して縫い合わせる手術をされたのです。手術後は痛み止めのアスピリン…

チベット問題に沈黙する平和・人権団体

外出しても、何を叫んでも、殺されないことこれがチベット人が望んでいる「自由」であり、この声を日本の平和団体、人権団体はどう捉えているのでしょうか。 2008年3月10日のチベット僧侶による400人規模のデモに端を発した中共当局のチベット人弾…

チベットに何があるのか

1941年9月に英領インドの解放のために日本陸軍藤原岩市少佐以下10名程から構成された特務機関であるF機関というものがあります。桐蔭横浜大学のペマ・ギャルポ教授はこの藤原岩市少佐に戦後の1970年に会ったことがあり、藤原氏の自宅にいくと大き…

パンチェン・ラマ

ダライ・ラマがチベット人にとって「太陽」であるのに対してパンチェン・ラマは「月」であり、阿弥陀仏の化身と言われる高僧です。 1959年、ダライ・ラマがインドへ亡命した後、1962年、パンチェン・ラマ10世は毛沢東に7万言の意見書を提出し、中…