2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

フランスの侵略を受けたベトナム

ベトナムは1000年戦ってきた。 「われわれは一千年も戦ってきた。もし必要とあらば、さらに一千年戦ってみせる」 これは帝国主義の時代、フランス支配に反抗する愛国的ベトナム人たちの自慢の声です。ベトナムは後のアメリカとの「ベトナム戦争」を戦い…

二・ニ六事件の首魁にされた北一輝

北一輝は二・二六事件の首魁だったのか。 昭和11年(1936年)2月26日、帝都に激震が走りました。陸軍の青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げ、武力をもって蹶起しました。ニ・ニ六事件です。この事件の首魁にされたのが北一輝(本名:北 …

ソ連からの移民 〜 南樺太

南樺太にソ連から移民が入ってきた頃。 昭和20年(1945年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告し、南樺太に攻め込んで占領しました。日本人居留民は引揚げ船で本土へ引揚げていきましたが、8月23日にソ連からの禁止が通達され…

ソ連兵は悪魔だったのか 〜 南樺太の悲劇

ソ連兵は残虐だったと伝えられているが・・・ 昭和20年(1945年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、宣戦布告し、満州、南樺太に攻め込んできました。8月15日を過ぎても侵攻を止めませんでした。南樺太では軍使や警察官が射殺され、シ…

軍命令にされていた九人の残留 〜 真岡郵便局の悲劇

ウソが独り歩きしていた。 昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍が南樺太の真岡に上陸し、自動小銃、手榴弾で民間人を攻撃しました。こうした中、真岡郵便局電話交換手が職場を守り、9名の女性交換手が自決する事件が起こりました。この事件は映画に…

九人の乙女はなぜ自決したのか 〜 真岡郵便局の悲劇

なぜ悲劇はおきたのか。 昭和20年(1945年)8月20日、南樺太の真岡にソ連軍が艦砲射撃を加え、上陸し、民間人でも見つけると射殺する事態となりました。このとき真岡郵便局の交換室で9名の女性交換手が自決をしました。状況を総合すると切羽詰った…

真岡郵便局の悲劇

九人の乙女の悲劇。 昭和20年(1945年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破り、日本へ宣戦布告してきました。樺太では北緯50度線を越えて、日本領へ侵入。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾しましたが、ソ連の侵略は続きました。 8月2…

南樺太の悲劇

忘れてはならない南樺太のこと。 「大東亜戦争の末期、日本領土で地上戦のあったのは、唯一、沖縄だけで、尊い命が失われた・・・」。これは沖縄全戦没者追悼式で村山元首相の言葉ですが、こういった誤った認識がつい最近までなされていました。昭和20年(…

1945ソ連軍、南樺太へ侵攻す

北方領土は樺太も含まれる。 昭和20年(1945年)8月7日10時頃、南樺太の北緯50度国境線近くの半田という場所で構築中の守備隊陣地に当番兵が大声を上げて走りよってきました。 「非常呼集!!機材を置いたまま本部前に集合せよ!!」 ソ連軍が国…

白瀬中尉の南極探検その後

歓呼して迎えた日本国民。そして借金を背負った白瀬中尉。 明治45年(1912年)1月28日、日本初の南極探検隊、白瀬中尉率いる突進隊は南緯80度5分、西経156度37分に到達。ここまで世界の南極探検は22回行われたといわれ、南緯80度の壁を…