2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ニ・ニ六事件で逆賊の汚名をきて

歴史の評価はいかに。 昭和11年(1936年)2月26日、帝都を震撼させたニ・ニ六事件が起こりました。この頃、陸軍内部では皇道派と呼ばれるグループと統制派と呼ばれるグループがあり、両グループは対立関係にありました。皇道派グループは腐敗した財…

マスコミが書かないニ・ニ六事件

マスコミはプレスコード※1にかかることは書きません。 2・26事件:事件後に銃殺刑…県出身の対馬中尉 弘前の96歳妹、思い切々 /青森 ◇純真な兄、信じて 旧陸軍将校らが政府要人らを襲撃した1936年の「2・26事件」。県出身の対馬勝雄中尉(当時…

歴史は再評価される 〜 ニ・ニ六事件

中東の情勢を考えると、ニ・二六事件を見直す丁度良い機会でしょう。 2・26事件 処刑された中尉の遺言など展示 山口・下関 毎日新聞 2月25日(金)13時17分配信 1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校らが首相官邸などを襲撃し、高橋是清蔵相ら…

マレーの分割統治

デバイド・アンド・ルール。 現在のマレーシア、シンガポールは英国の植民地時代には分割統治方式をとっていました。マレーを三つに分割し、シンガポール、ペナン、マラッカの三州をイギリスの直轄植民地としました。もう一つは王国の形態を残した保護国を作…

どうして日本人はこんなになってしまったんだ

かつての日本人はこんなんじゃなかった。 昭和63年(1988年)マレーシア上院議員ラジャー・ノンチック氏 「ハジ・ハブさん(インタビューア)、この頃の日本の若い人たちはどうかしてしまったのでしょうね。自分たちの父や祖父たちが命をかけ、血と汗…

日本時代が狂おしいほど懐かしい

日本時代が狂おしいほど懐かしいと言った朝鮮人。 金 完燮氏(キム・ワンソプ)著の「親日派のための弁明2」には日本時代の朝鮮を狂おしいほどに懐かしむ人が多い、と書いてあります。日本時代は法がなくても生きられる社会だったと金氏の親戚が述べていた…

連合艦隊司令長官の戦死

山本長官の戦死の真相は? 昭和18年2月、日本軍はガダルカナル島から撤退。4月には山本五十六連合艦隊司令長官がブーゲンビル島に視察に来ることになりました。ブーゲンビル島はラバウルより東側にあり、敵に近い場所ですが、ようやく日本軍は飛行場を整…

シンガポールへ、シンガポールへ

合言葉はシンガポールへ、シンガポールへ。 昭和16年(1941年)12月2日、大本営から山下兵団に「ヒノデハヤマガタ」の暗号電文が到着。12月8日、日本軍はマレー半島の東海岸、タイ領のシンゴラ、タベー、バタニ、そしてマラヤ領のコタバルへ上陸…

ガダルカナル撤退・ケ号作戦

英霊のご加護か。奇跡的に成功した大作戦だった。 昭和17年(1942年)8月から始まったガダルカナル戦は日本軍の補給が思うようにいかず、大量の餓死者と病死者を出していきました。一木支隊、川口支隊、第二師団、第三十八師団と逐次投入し、輸送船団…

徴兵制は復活させたほうがよいか

国防意識の高まりと「草食系男子」増加の懸念。 ちょっと前に私の母と妹が我が家に遊びに来たのですが、そのときの母娘の会話で「徴兵制を復活させたほうがいい」という話が出てきました。この二人がこんなこというなんて「ほう」と思ったものです。国防意識…

日教組は変わるのか?

日教組に変化が出てきた? 国歌斉唱時の「起立」を「強制」だとして反対している日教組ですが、学校行事から国旗国歌が姿を消した背後に自民党がいました。 ほとんどの学校行事から国旗国歌が姿を消した背後に自民党 【書評】『日教組』(森口朗著/新潮社/…

奉祝「紀元節」

建国記念日は紀元節。 2月11日は紀元節です。日本は神話起源の国であり、初代天皇である神武天皇の即位日です。 日本敗戦後、GHQは祝祭日の名称を変更しましたが、紀元節は存続さえさせませんでした。この祭日を遺せば、日本人が日本人の歴史を取り戻…

熱闘!おじさん部隊 〜 ガダルカナル戦

おじさんはがんばった! 昭和17年(1942年)8月から始まったガダルカナル戦は日本軍の補給が思うようにいかず、大量の餓死者と病死者を出し、撤退することになりました。12月30日の御前で決裁が行われました。 ガダルカナルを撤退するにあたって…

餓島

飢餓の島となったガダルカナル。まだ先人の遺骨が残っています。 昭和17年(1942年)8月から始まったガダルカナル戦は一木支隊の先遣隊が全滅した後、川口少将率いる川口支隊が島に上陸しました。 9月12日、川口支隊は夜間総攻撃を開始。敵味方の…

不当に奪われた北方領土

条約を破られ、火事場泥棒に北方領土を奪われました。 昭和20年8月18日午前二時ごろ、北方領土最北端の占守島に国籍不明のが上陸。ソ連軍でした。そして日本軍と交戦。23日に停戦協定が結ばれます。ソ連軍は8月27日には得撫島の沖合いまで到達しま…

旭川へ凱旋した二十八連隊 〜 ガダルカナル戦

魂は凱旋した。 昭和17年8月7日より始まったガダルカナル島を巡る日米決戦で、日本軍は第一次ソロモン海戦で敵輸送船団を撃ち漏らすという大失態に続き、敵兵力を過少に見積もり、兵力を逐次投入するという失敗をしてしまいました。 ガダルカナル島に最…

ガダルカナル決戦

飢餓の島となったガダルカナル島。 「天が落ちてもガダルカナル島は大丈夫」 大東亜戦争・日米戦で日本海軍はこう豪語していました。昭和17年(1942年)8月9日、大本営海軍部の発表があります。「8月7日、早朝、敵は数十隻の輸送船団をもってガダ…