2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

南極での喜びと悲しみ 〜 白瀬中尉の南極探検

白瀬中尉の南極探検でも犬を置いていかざるを得なかった。 明治45年(1912年)1月21日、白瀬中尉率いる日本初の南極探検隊7名が南極に正式上陸し、鯨湾に根拠地の小屋を作りました。白瀬隊長ら5名(白瀬、武田、三井所、花守、山辺)は突進隊を編…

白瀬中尉、南極へ突進

大和雪原到達100周年。 明治44年(1911年)11月19日、白瀬中尉を隊長とする日本初の南極探検隊は開南丸でシドニー港を出航しました。翌明治45年1月12日、鯨湾付近に到着します。シャチの群れが白瀬一行を歓迎し、アイヌ人の花守と山辺はこ…

挫折、そしてシドニーへ 〜 白瀬中尉の南極探検

一度挫折した南極探検。 明治43年(1910年)11月29日、白瀬中尉を隊長とする総勢27名、樺太犬29頭の南極探検隊が「開南丸」に乗り東京芝浦を出航します。本来は8月中旬に出航する予定でしたが、船の手配がなかなかつかず、大幅に遅れての出航…

よみがえる白瀬中尉

白瀬中尉の南極探検。 初代南極観測船「宗谷」は昭和37年(1962年)にその役目を終え、「ふじ」にバトンタッチし、「ふじ」は昭和59年(1984年)、「しらせ」にバトンタッチしました。 「しらせ」という艦名になったのは日本初の南極探検隊隊長…

旅順攻略戦の乃木将軍

乃木将軍は愚将ではない。 「遺骨が一つ届いたからといって、慌てて葬式を出すな。三つ届いてからにしろ」 乃木希典(のぎ まれすけ)陸軍大将は家族にこういい置いて旅順へ向かいました。長男の勝典(かつすけ)中尉、次男の保典(やすすけ)少尉も日露戦争…