稲わらをとことん使った「もったいない(Mottainai)」文化の江戸

もったいない(Mottainai)の代表選手。




 日本人であれば当たり前のものは見過ごすところを外国人はしっかり観察し、記録します。

 フランス海軍士官スエンソン 慶応二年(1866年)来日
「大きな荷鞍に荷物をどっさりのせられ、蹄鉄の代わりに藁(わら)のサンダルをはかされた馬の長い隊列が、鈴の音を陽気に鳴らし、馬丁にかけ声をかけられながらゆっくり前進していく」

 ドイツ考古学者シュリーマン 慶応元年(1865年)来日
「士官(武士)たちは質の良い黄色のキャラコの衣服に、膝まで届く明るい青か白の上着(陣羽織)をつけていた。・・・やはり青い靴下と藁のサンダル(足袋と草履)、黒い漆塗りの帽子を被っていた。腰には日本の刀と扇子を一本差している。馬には蹄鉄を打っておらず、かわりに藁のサンダルを履かせていた」

 大名行列の観察ですが、藁で作った草履(ぞうり)と馬が藁靴を履いているところに目が行っています。

 スイス外交官・アンベール 文久二年(1863年)来日
「雨天の日には、藁の外套かまたは油紙をまとい、ジャワで作っているような竹の皮で作った帽子をかぶっている」

 日本人の服装を観察したものです。藁の外套は蓑(みの)のことですね。隙間だらけの藁で作った蓑なんて防水の役に立つのか不思議ですが、表面を雨が伝って下に落ち、残りが下の層で落ち、というようにして防水しているわけです。藁葺き屋根がこの原理です。藁葺き屋根の場合は何層にもなっていますが、蓑はそういうわけにもいかないので、大雨のときは役に立ちませんでした。前出のシュリーマンが八王子に行った時に雨に会い蓑を借りましたが土砂降りだったため「ずぶぬれになった」と記しています。

 江戸時代、稲の副産物である藁(わら)は徹底して使われリサイクルされました。草履(ぞうり)、草鞋(わらじ)、蓑(みの)、馬に蹄鉄は「もったいない(Mottainai)」ので藁を履かせていました。藁の履物はすり減りますが用済みになった藁は捨てるのは「もったいない(Mottainai)」から集めて肥料にするのです。

 旅行家イザベラ・バード 明治11年(1878年)来日
「乗馬道にははき捨てた草鞋があちこちに落ちており、子供たちがそれを拾い集めて腐らせ、肥料にしています」

 藁の用途は多くあります。米俵がすぐ思い浮かびますね。酒樽も表面は藁製の薦(こも)で保護していました。藁は保温効果があるので、冬は飯櫃(めしびつ)を藁の容器に入れたりしていました。反対に夏は藁製の弁当入れを使ったりしていました。通気性が良いので蒸れて腐らないようになります。台所用品も釜敷き、どびん敷き、鍋つかみなどに藁が使われていました。納豆は藁につつんで、藁についてある納豆菌で発酵させます。藁は牛や馬の餌にもなります。建築材料としても使います。土壁の中に切り刻んだ藁を入れて強度を向上させるのです。

 今でも使っている藁製品といえばお正月に使う注連縄(しめなわ)がありますね。畳も表面は藺草(いぐさ)ですが、中は藁です。藁独自の通気性と吸湿性は現代でも通用します。そしてクッションになります。筵(むしろ)は今でも敷物として使っているところはあると思います。

 藁製品を数え上げればきりがないでしょう。そして使い終わった藁は肥料になりましたし、燃やしても灰はカリ肥料になりました。太陽エネルギーとCO2を吸収して稲ができ、米をとった残りの藁はさまざまな用途で使われ、使い終わったら、そのまま農作物の肥料として循環します。燃やしても吸収したCO2を排出するだけで何も増えないし減らない。灰は肥料になりこれまた循環します。稲作は日本全国でおこなわれており、日本列島全体で壮大なリサイクルが行われていたわけです。藁は江戸の「もったいない(Mottainai)」文化の象徴的なものといえるでしょう。



参考文献
 講談社学術文庫「江戸幕末滞在記」エドゥアルド・スエンソン(著)/ 長島要一(訳)
 講談社学術文庫シュリーマン旅行記 清国・日本」ハインリッヒ・シュリーマン(著)/ 石井和子(訳)
 講談社学術文庫「絵で見る幕末日本」エメェ・アンベール (著) / 茂森唯士(訳)
 講談社学術文庫「イザベラバードの日本紀行」イザベラ・バード(著)/ 時岡敬子(訳)
 講談社文庫「大江戸リサイクル事情」石川英輔(著)


Mottainaiは世界の合言葉  http://mottainai.info/
 「Mottainai」は消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)の四つの「R」。

添付画像
 神戸市東灘区御影町、武庫の郷にて再現された蓑 Auth:Jnn(CC)

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