2010-01-01から1年間の記事一覧

正義は負けるのか 〜 海上保安官の尖閣ビデオ告発

巨悪を倒せ! 尖閣漁船衝突事件で日本政府は犯罪者を釈放。中共では英雄扱い。 そして日本政府は尖閣ビデオを隠蔽。義憤にかられた海上保安官が尖閣ビデオを告発。すると国家公務員法違反の疑いや懲戒処分が検討される状況となっています。 海上保安官を行政…

仕分けショーに見られる「シナ化」

仕分けショーは日本のシナ化の象徴。 今日のTBS「朝ズバ!」で仕分けショーを擁護するのを聞いていてゲンナリしました。そこまでいうならパチンコ天下りに言及してくださいな。 仕分けショー終焉なら歓迎です。仕分け人が公衆の面前で役人らをこき下ろし…

菅総理居眠りの背景

大嫌いな外交でさぞかしお疲れでしょう。 菅総理のことを見事に言い当てた記事がありました。 菅首相の「外交嫌い」 サミットでの恐怖体験が発端との説 2010.11.09 10:00 尖閣問題や北方領土問題で全くリーダーシップの見えない菅直人首相。すっかり「外交嫌…

通化事件に巻き込まれた流転の王妃

日本人が大虐殺された通化事件に巻き込まれた浩妃。 満州国皇帝の弟、愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ)に嫁いだ侯爵嵯峨実勝と尚子夫人の第一子、嵯峨浩(さが ひろ)は昭和20年(1945年)日本敗戦によって満州の地に取り残されました。そして、…

また閔妃殺害を日本人の仕業であると捏造

NHKやテレ朝が良く使う捏造をここでも使った。 1885年10月、李氏朝鮮の第26代国王・高宗の王妃であった閔妃(ミンビ、びんぴ)が殺害されました。乙未事変(いつびじへん)といいます。 梅田正巳著「近代日本の戦争」 P84 下関条約の調印から…

通化事件と藤田大佐

通化事件に藤田大佐は関与していなかった。 通化事件(つうかじけん)とは昭和21年(1946年)2月3日に支那共産党に占領されたかつての満州国通化省通化市で中華民国政府の要請に呼応した日本人の蜂起とその鎮圧後に行われた支那共産党軍と朝鮮人民義…

愛新覚羅溥傑と嵯峨浩

結婚とはなんでしょうか。お見合い結婚より恋愛結婚のほうが幸せですか?政略結婚は不幸なのでしょうか。 満州国皇帝の弟、愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ)と侯爵嵯峨実勝と尚子夫人の第一子、嵯峨浩(さが ひろ)昭和12年(1937年)4月3日には東…

スサノオの剣

日本人としての根っこを持っていますか? 昨年のあるとき、小学校に上がる前の三男坊が母親と一緒に図書館にいって本を借りてきました。その中に「スサノオの剣」という本がありました。そういえば私が子供の頃、本棚に「日本の神話」の本がありました。近所…

義和団事件も日本が悪い?

なんでもかんでも日本悪にしないと気がすまない。 1900年の清国で義和団事件発生しました。義和団は宗教的な秘密結社で、団徒は義和拳という憲法を習い、熟達すれば弾丸、刀剣の危難を防ぐことが出来ると信じるほどの迷信集団です。この集団は「扶清滅洋…

皇帝古き故郷へ帰る

満州王朝の復活。 昭和6年(1931年)9月18日、満州事変が勃発。奉天特務機関長の土肥原賢二は天津にいた清朝最後の皇帝、溥儀のもとを訪れ「今こそ清朝を再興すべきときです。是非、満州へおいでください。日本は陛下を全面的に支援いたします」と語…

清国の凋落は日本の責任?

なんでもかんでも日本のせい。 梅田正巳著「近代日本の戦争」は日清戦争の下関での講和条約の賠償金によって列強の干渉を受けたと書いていますが、まるで日本に責任があるような書き方をしています。 このうちただちに大問題となったのが、賠償金二億両です…

ジャイアンを懲らしめろ 〜 満州事変

ならずものを退治しろ! 昭和6年(1931年)の満州事変は関東軍が侵略目的で突然起こしたものではありません。張軍閥の執拗な嫌がらせから発生したものです。条約違反、日系工場の強制閉鎖、設備破壊、鉱山採掘の禁止、日本人に対する土地貸与の禁止、森…

劉暁波さんノーベル平和賞についての声

ノーベル平和賞を受賞した劉暁波さん。 劉暁波さんがノーベル平和賞を受賞しましたが、ジャーナリストの櫻井よし子さんは「日本が賞を授与すればいい」と主張しています。 櫻井氏「日本は中国の人権活動家に賞を創設して授与すべき」 NEWS ポストセブン 11月…

先人に学ばない政治家たち

支那に擦り寄るだけの政治家たち。 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオが流出してニュースになっていますが、大韓航空が撃墜された事件と比較した記事が出ていました。 “弱腰外交”の日本 ソ連の暴挙を暴いた中曽根政権を見習うべき NEWS ポストセブン 11…

ラストエンペラーの変貌

漢人の所業に激怒したラストエンペラー。 ラストエンペラーの呼称でよく知られる清朝第12代皇帝、愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)は1911年の辛亥革命を経た後も、北京の紫禁城に住むことが許されていました。ところが1924年11月にクーデタ…

そして日清戦争を日本の詐欺的強盗行為とまで言った

どこまでも憎い日本。 梅田正巳著「近代日本の戦争」は日清戦争は日本の詐欺的強盗行為とまで言っています。 梅田正巳著「近代日本の戦争」P69 「庇を借りて母屋を乗っ取る」ということわざがあります。 庇とは軒のことです。雨が降ってきたので、ちょっと軒…

明治節

11月3日は明治節 11月3日は明治天皇の在位中は天長節(天皇誕生日)でした。これは四大節(新年、紀元節、天長節、明治節)のひとつです。明治45年(1912年)に明治天皇が崩御になり、大正3年(1914年)には昭憲皇太后(しょうけんこうたい…

ルーピー2

鳩山前総理が米メディアに「ルーピー」と嘲笑されましたが、菅総理は尖閣漁船衝突問題で外交をこじらせている中共メディアから「支持率の回復は非常に難しくなる」「政権を失うことになる」と指摘されました。いわば敵に同情されたようなもんで、「ルーピー…

戦前は天皇主権の恐ろしい憲法だったと教えられた戦後日本人

日本人は戦後、洗脳されました。 私は子供の頃から「日本国憲法」は「国民主権」であり、自由と権利、平等が保障されており、はすばらしい!大日本帝国憲法は「天皇主権」で国民とってひどいものだった、教えられました。よくまあ、こんなウソを教えられたも…

コソコソっと外国人参政権

なにやら与党民主党がコソコソと始めています。 政府答弁書、外国人参政権への見解変更 産経新聞 10月29日(金)18時37分配信 政府は29日の閣議で、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与について、憲法上禁止されているものではないとした平成7年の最高…

満州王朝から見た満州建国への道

満州王朝は独自の意思で歩んでいった。その先に日本がいた。 1931年(昭和6年)に上海の米国の副領事として支那にわたったラルフ・タウンゼントは支那の混乱ぶりを以下のように書いています。 「これは世界史上類例のないことである。血の海に膝までつ…

ラストエンペラー

満州王朝の視点でも歴史を見る必要がある。 映画になったのでご存知の人も多いでしょう。愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)清朝第12代にして最後の皇帝で初代満州帝国皇帝です。清朝皇帝についたのは1908年10月です。わずか3歳だったので、摂政…

さらに続く日清戦争までの歴史抹殺手法

日本が大嫌いな人の歴史記述は「抹殺手法」が主流。 梅田正巳著「近代日本の戦争」は「田母神論文」の「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」を検証するため日清戦争の…

戦前は恐ろしい社会だったと教えられた戦後日本人

戦前は普通。旧ソ連や中共、北朝鮮のような恐ろしい国ではありません。 小林よしのり著「天皇論」の中で小林氏が美容室で髪を切ってもらっているとき、美容師と世間話になり、その美容師がこんなことを述べていたと書いています。 「北朝鮮、危ないですよね…

金玉均のクーデターを無視

朝鮮独立の志士、金玉均の光は眩しいから抹殺。 梅田正巳著「近代日本の戦争」では「田母神論文」の「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」を検証に対するため、明治1…

インドネシア独立へ

大東亜戦争中、インドネシアでは日本軍がオランダ軍ら連合軍を破り、軍政を敷いていました。昭和19年(1944年)9月、小磯内閣は「将来、独立を許容する用意がある」と声明を発表。昭和20年3月には独立準備調査会を設置。共和制の採択、憲法の草案…

歴史は虹のようなもの

虹が見れない日本人。 「歴史は虹のようなものだ」・・・イギリスの学者、オーエン・バーフィールド氏がこのように述べています。上智大学名誉教授の渡部昇一氏はこのバーフィールド氏の比喩を次のように解説しています。「彼は『歴史的事実』と『国史』すな…

巧妙なブログ荒らしにご用心

最近、Yahooブログのほうにブログ荒らしが来るようになりました。これまでは、コメント欄に嫌がらせを書くタイプがほとんどでしたが、今回は巧妙なブログ荒らしの登場です。F氏としておきましょう。このF氏について、ネット検索したところ、やはりあちこち…

愛国心と誇りを持ったインドネシア人

今度は日本が学ぶ番。 大東亜戦争中、インドネシアは日本軍が軍政を敷いていました。この軍政ではインドネシア語を公用語とし、PETAという郷土防衛義勇軍を創ってその中で士官学校の内容を取り入れ教育し、官吏学校、医科大学、農家大学などを設立し、1…

壬午軍乱での日本人被害を抹消

日本人が被害を受けたことは知られたくない! 明治15年(1882年)に壬午軍乱がおきます。李朝は新式の軍編成を行い、日本軍人の堀本少尉を教官にして訓練を行いました。これには装備が旧式のままの古兵が不満を持ちます。さらに俸給米の支給が滞ってお…