スサノオの剣

日本人としての根っこを持っていますか?

 昨年のあるとき、小学校に上がる前の三男坊が母親と一緒に図書館にいって本を借りてきました。その中に「スサノオの剣」という本がありました。そういえば私が子供の頃、本棚に「日本の神話」の本がありました。近所の神社のお祭りでは神話の劇などやっていましたが、現在、特に都会では縁遠くなっているように思います。職場の近くの少し大きめの本屋にたちより、子供の本を眺めても日本の神話の本はありませんでした。

 スサノオノミコトは日本列島を作ったイザナキとイザナミの四貴子の四番目になります。一番目が天照大神です。(日本書紀古事記では黄泉の国から戻って身を清めるときに顔を洗った際に左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれたとなっています。

 スサノオの剣の話はよく知られている通り、出雲の国の「ヤマタノオロチ」を退治した話です。毎年娘をさらう八つの尾と頭を持つヤマタノオロチを退治するため、強い酒の入った八つの酒樽を置いて、オロチに飲ませ、酔いつぶれたところをスサノオがオロチをずたずたに切り裂きます。するとオロチのシッポからすばらしい刀が出てきてアマテラスに献上したというものです。この剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、後の草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。三種の神器の一つになります。

 さてこの剣は現在どこにあるか?熱田神宮ですね。十代崇神(すじん)天皇のときに御代器(代わりになる剣)を作り、それを宮中に留めて実物は伊勢に持っていきましたが、ヤマトタケルノミコトが東征の時に伊勢に立ち寄り、剣をうけとります。ヤマトタケルが賊の焼き討ち攻撃にあったときに、この剣の霊力で草を薙いで逃れました。だから草薙剣(くさなぎけん)ともいいます。ヤマトタケル尾張(現在の愛知県)へ行き、伊吹の神と戦いますが、敗れて逃れます。そして剣は尾張のクニノミヤツコタケイナダネノミコトのもとに残り、それが熱田神宮に祀られているものです。織田信長桶狭間の合戦の直前に熱田神宮に戦勝祈願にきていますが、勝ち目の無い戦なので剣の霊力を借りるつもりで祈ったのかもしれません。

 宮中の御代剣は壇ノ浦で安徳天皇が平家一門と共に入水されるときに二位の尼が腰に真剣を差し、八歳の天皇を抱き奉り海に沈んだとされています。現在のものはその後、順徳天皇(1197年-1242年)のときに伊勢神宮より奉献された蒔絵の御剣といわれています。

 こうした神話はもっと子供に教えたいと思っています。皇后陛下が次のように述べられています。
「一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えるとそれぞれの国や地域の人々がどのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたかが、うっすらとですが感じられます。父がくれた神話伝説の本は、私に個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えてくれたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました」

 「根っこ」がしっかり張られていればこそ、大きく成長する。強い風が吹いても倒れることがない。そう思います。



参考文献
 「日本の神話と古代史がよくわかる本」日本博学倶楽部著
 「宮中祭祀」中澤伸弘著
 「天皇論」小林よしのり
 「日本よ、永遠なれ」山谷えり子

添付画像
 スサノオ(PD)

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