清国の凋落は日本の責任?

なんでもかんでも日本のせい。


 梅田正巳著「近代日本の戦争」は日清戦争の下関での講和条約の賠償金によって列強の干渉を受けたと書いていますが、まるで日本に責任があるような書き方をしています。



 このうちただちに大問題となったのが、賠償金二億両です。当時の清国の国家予算の二年半分にも当たる莫大な金額でした。これを日本の通貨にすると約3億6千万円となりますが、こちらも当時の日本の国家予算の4年分を上回ります。当時と現在では国家体制も財政規模もまるで異なりますから、単純な比較はもちろんできませんが、国家予算との対比で検討をつけるとしたら、この賠償金額は現在の日本の通貨で400兆円程ということになります。べらぼうな賠償金額でした。

 苦笑です。「当時と現在では国家体制も財政規模もまるで異なりますから」と免罪符をうっておいて、現在、世界3位のGDPを誇る経済大国日本の国家予算を4倍プラスアルファして400兆円と言っているのですから・・・借金の話をするならせめて税収の数字を使うものでしょう。



 このような莫大な資金は、もちろん清国政府の金庫にはありません。ではどうしたか。列強から借りたのです。まず1895年7月にはフランスとロシアから4億フラン、ついで翌96年5月にはイギリスとドイツから1600万ポンドの借款を受けます。
 先ほど「詐欺的強盗」という造語を使いました。清国は日本への賠償金支払いのため、同種の詐欺的強盗集団から金を借りたのです。当然、その見返りとして、取り返しのつかない担保・抵当を要求されることになります。

 これで列強に、鉄道施設権を売ったり、租借地を要求されたりということになります。眠れる獅子が小国日本に負けたのだから大したことないぞ、となったわけです。



 こうして2000年にわたり東アジアに君臨してきた中華帝国も、帝国主義諸国によってたかってその国家主権と国土を浸蝕され、むしり取られて、以降半世紀、半植民地状態にさらされています。その半植民地の扉を開いたのが、日清戦争での日本の勝利であり、扉を開けるカギとなったのが日本への莫大な賠償金だったのです。

 梅田氏は日清戦争の日本の「詐欺的強盗行為」と断罪していますから、清朝の没落も日本のせい、とでも言いたいのでしょう。
 
 清朝はとてつもない大金持ちだったのは誰でも想像つくでしょう。国を守りたければその財産を使えばいいだけです。辛亥革命によって清朝統治権を失ったとき、奉天と熱河の宮殿にあった美術品、宝物を紫禁城に持ち込んでいますが、このとき評価額が算出されています。これによると406億メキシコドルとなっています。これらは共和国側に売り渡すことになっていましたが、共和国にはそのカネがない。そのため共和国が帝室から借用する形を取りました。その額は350万メキシコドル。ポンドでは35万ポンドとなります。それ以上に紫禁城にある美術品、宝物は1000万ポンドは下らなかったといいます。※1 帝室財産は美術品や宝物だけではないでしょう。ですから、国のため、国民のためを考えれば借金を大幅に減らすか、ひょっとしたら借金はしなくても良かったかもしれません。それよりも鉄道施設権や租借地の提供を選らんだということでしょう。
 
 400兆円というおかしな計算をして帝室財産を無視し、「日本悪」を刷り込もうとした梅田氏の手法が実によくわかります。
 
 
 ※1 詳伝社「紫禁城の黄昏」R・F・ジョンストン著/中山理訳/渡部昇一監修 に詳しく書かれている。
 
添付画像
 日清講和条約締結(1895)(PD)


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