マレー沖海戦

 昭和16年12月10日、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘で日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈し、「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることはできない」との常識を覆し、世界の海軍戦略である大艦巨砲主義に影響をあたえました。

 ちょうどGHQ焚書図書開封3に「空の少年兵戦記」(昭和18年10月)で戦闘に参加したパイロットの話を紹介していました。


 敵は真下だ。艦橋や甲板の上から、見張り員が眼鏡で上を見ている。我が機が爆弾を投下したと見れば、大急ぎで変針して避けようというのだ。
「用意、打テッ!」
 指揮官機から命令が来た。窓から見ていると、爆弾は黒い尾を引いて刻々に小さくなりながら、敵艦に吸いつけられていく。敵艦はジグザグに蛇行しながら逃げ回る。
 弾着を見届けなければならない。敵の戦闘機、そんなものはお構いなしだ。俺は窓に頭を突っ込んむようにして覗いていると黒い煙が上がった。艦尾の左舷に命中したのだ。

(中略)

 俺たちが第二撃目に移った頃は、すでに味方の雷撃隊が肉迫していて、敵は気息奄奄(きそくえんえん)と言った形だった俺たちが帰途についた時だ。レパルスだか、ウエルズだかわからなかったが、戦艦が一隻、我が雷撃隊の挟撃を受けていた。雷撃隊は右から左から左から右から、入れ代わり立ち代り攻撃していた。

(中略)

 魚雷は白い航跡を描いて追いかけている。中(あた)るか?中ってくれ!ひやひやしながら見詰めていると、水煙があがった。黒煙もあがった。一緒だったかもしれぬ。はっきりと命中するのが見えたのだ。思わず喝采を叫んだよ。

 今は戦争の話というと「悲惨さ」を伝えるものしか見せないようになっているので、私は大人になったときたまたまマレー戦の戦記ものマンガを読んだとき、描写と人間模様に新鮮さを感じたものです。これを見せたからといって戦争を美化することにはならないし、戦争がおこるとは思えない。今の世はおかしな思想に歪められていますね。

 マレー沖海戦では不沈といわれた英新鋭・戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスを撃沈しました。このことは戦略的なもののほか精神的な面でも世界に大きな衝撃を与えました。

英首相チャーチル
「12月10日、私の部屋で電話が鳴った。それは軍令部長であった。彼の声は変だった。咳をしているようでもあり、こみあげてくるものをこらえているようでもあり、はじめは明瞭に聞き取れなかった。『総理、プリンス・オブ・ウエールズとレパルスが、両方とも日本軍に沈められたことを報告しなければなりません・フィリップス(極東艦隊司令長官)は水死しました』『その通りかね』『全く疑う余地はありません』私は受話器を置いた。私はひとりきりであることが幸だった。戦争の全期間を通じて、私はそれ以上の衝撃を受けたことがなかった」

インドの元大統領であるラグ・クリシュナン 1969年時
「(イギリスの植民地であった)インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは、想像もできなかった。それを、我々と同じ東洋人である日本が見事にも撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって、東洋人でもやれるという気持ちが起きた」

イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビー 毎日新聞1968年3 月22日付
「英国最新最良の戦艦二隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。何故なら、1840年アヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本は全ての非西洋国民に対し、西洋は無敵でない事を決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のヴェトナムに明らかである」

 歴史の真実ですね。



参考文献
 「GHQ焚書図書開封3」西尾幹二
 「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
参考サイト
 WikiPediaマレー沖海戦
添付画像
 日本軍機の猛攻撃を受け轟沈するプリンス・オブ・ウェールズとレパルス(PD)


広島ブログ クリックで応援お願いします。