日米大海戦構想はおかしかったのか

 私は子供の頃、学校で日米戦争で日本は大型戦艦を主力とする決戦構想という古い考えがあった、と教えられた記憶があり、日本軍は発想自体古いというような話でした。


三国同盟と日米戦(昭和15年10月 松尾樹明)GHQ焚書図書開封より


 わが駆逐艦の戦争上手は世界無比のものである。艦隊の決戦となると、敵の水雷戦隊を追っ払ったり煙幕をついて敵の主力部に突撃したりする。かの日本海大海戦のときはまっしぐらに敵の戦艦にぶつかっていって船首を破壊せしめた肉弾駆逐艦もあったではないか。アメリカやイギリスの駆逐艦などにこんな大胆な真似はできない。夜襲戦となると、それこそ駆逐艦のひとり舞台で、敵の戦艦を狙って攻撃また攻撃で、本当の力を現すのである。
(中略)
 この奇襲艦隊の襲撃によって大損害をうけてアメリカ艦隊は、もはや夢のごとき日本遠征計画を放棄するよりほかに仕様がない。

 この本は日米開戦前に出版されています。日露戦争日本海海戦が頭にあるから米軍が日本近海に押し寄せてきたとき、まずは潜水艦と駆逐艦によって奇襲をかけるという構想が見て取れます。日本近海での艦隊決戦です。実際に日本軍はマレー、フィリピンを攻略し、西太平洋においてアメリカ太平洋艦隊を迎え撃つ構想でした。
 
 この艦隊決戦構想はあながち間違いではなく、ジェームス・B・ウッド著「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」によるとマリアナなどの国防圏に強固な防衛陣地を築き、補給を容易にした状態で連合艦隊が待機していれば、米軍の圧倒的戦力に対しても地上戦力+連合艦隊で十分対抗可能で、米軍は容易には侵攻することはできなかったと論じています。また、米軍が日本近海を攻撃するに足りる戦力が整ったのは昭和19年(1944年)からであり、日本側には国防圏を強固にする時間的余裕はあったと述べています。日本軍は戦線をニューギニア方面に拡大してしまい、そこで大消耗戦を強いられ、国防圏(昭和18年9月絶対国防圏)を指定したときには既に遅く、戦力が大幅に低下してしまっていたということです。サイパンでは十分な防衛体制が整うことなく米軍の侵攻をうけ、マリアナ海戦では未熟なパイロットが米軍の砲火の前に簡単に散っていきました。



参考文献
 「GHQ焚書図書開封西尾幹二
 「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」ジェームス・B・ウッド著
参考サイト
 WikiPedia「絶対国防圏」

添付画像
 昭和20年(1945年)のサイパン(PD)


広島ブログ クリックで応援お願いします。