日米開戦前の認識


 私は昭和16年12月の日米開戦を無謀な戦争を始めたとか、軍が暴走したとか、自殺行為だったとか、教えられましたが、これは日米戦争の結果が本土空襲によるあまりにも悲惨な結果に終わったから「最初から無謀だった」という結果から導かれた論であるのと、戦後の占領政策で日本人が白人に二度と立ち向かわせないように刷り込みを行ったことに起因しているように思います。当時としては無謀とは思われていなかったようです。


三国同盟と日米戦(昭和15年10月 松尾樹明)GHQ焚書図書開封より


 日米戦争は、日本のフィリピン占領によってまず日本は一部的の戦勝気分になりうることが出来るかもしれないが、それだけではまだ勝敗がどうなるかということは全然予測することができない。
 即ちこれを占領したからとて、日米戦争の勝敗を決すべき鍵を握ったとは言えないのである。
 しかしながら、すでにこれ(フィリピン)を失ったアメリカとしては、その艦隊が東洋に進出すべき目的とする根拠地がなくなったのだから、アメリカ艦隊は日本遠征は非常なる困難を感ずるに至ったことは言うまでもない。

 これは日米開戦前の予想をしている本です。米国の本でも以下のように記されています。


極東危機の性格(昭和16年12月 John Gunter,Rupert Emerson論文)GHQ焚書図書開封より


 もしも日米の間に戦争が起こるとすれば、両国の大海軍は、二人の重大量拳闘選手(ヘビー級ボクサー)が打ち合いながらも四つに組むまでにはなれないのに似たようなものであろう。日本はその艦隊をアメリカの領港まで進出させるような危険は犯さないであろうし、アメリカも日本本国の軍港を攻撃するためにその艦隊を派遣するようなことはあるまい。日本としてはフィリピン及びおそらくは欄印(インドネシア)を占有してアメリカの商船隊を悩まさんとするであろう。

 行方は一方的ではない、と述べていますね。更に米国はヨーロッパ情勢を考慮しなければなりません。


 アメリカ人はアメリカの太平洋における地位は特に有利であると思っている。日本単独でアメリカを壊滅せしむることはほとんど考えられないが、アメリカ一国で日本を撃つことはできるかもしれないと思っている。然し、ドイツが欧州で勝利をうる場合には日本以上のものを考慮にいれなければならないであろう。

 米の初期の戦争計画ではドイツの敗北を昭和19年(1944年)10月と仮定しても昭和20年(1945年)10月まで日本を降伏させる見込みはなく、昭和22年〜昭和23年に日本本土侵攻と見積もっていました。

 実際、開戦当初の日本の海軍力は優位にあり、昭和17年(1942年)末には米は太平洋で稼動できる空母が一隻もなくなってしまったのに対し、日本海軍は軽空母含めて7隻を保有していました。(米エンタープライズは損傷を受け修理)
 長期戦を考えていなかったかというとそうでもなく、昭和17年(1942年)3月に東條首相は「今後とるべき戦争指導の大綱」の中で、「短期間で米国と英国を屈服せしむることは至難であることは勿論、妥協によってこの戦争を終わらせることも出来ないであろう」と述べ、占領地域及び主要交通路を確保して、国防最重要資源の開発利用を促進し、自給自足の態勢の確立及び国家戦力の増強を述べています。これは開戦にあたってから考えていたことでしょう。

 ジェームス・B・ウッド著「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」を読んでみましたが、「最初から無謀」で片付けたのではそこで思考停止し、平和ボケてしまうことに気づきます。日米戦争の内容を見るとシーレーンに対する考え方や戦力の保持による抑止力も見えてきて、戦争を行わない現時代でも通じてくるものあります。



参考文献
 「GHQ焚書図書開封西尾幹二
 「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」ジェームス・B・ウッド著

添付写真
 昭和16年の真珠湾攻撃(PD)

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