大東亜戦争・マレー・シンガポール

マレーの分割統治

デバイド・アンド・ルール。 現在のマレーシア、シンガポールは英国の植民地時代には分割統治方式をとっていました。マレーを三つに分割し、シンガポール、ペナン、マラッカの三州をイギリスの直轄植民地としました。もう一つは王国の形態を残した保護国を作…

シンガポールへ、シンガポールへ

合言葉はシンガポールへ、シンガポールへ。 昭和16年(1941年)12月2日、大本営から山下兵団に「ヒノデハヤマガタ」の暗号電文が到着。12月8日、日本軍はマレー半島の東海岸、タイ領のシンゴラ、タベー、バタニ、そしてマラヤ領のコタバルへ上陸…

神兵、東方より来る

予言どおり神兵がやってきた。 昭和16年(1945年)12月8日から始まったマレー攻略戦は鯉兵団が主力となります。鯉兵団は大日本帝国陸軍の広島を衛戍(えいじゅ)とする師団です。「日本一の機甲兵団」とも言われ、マレーでは自転車を連ねて走り「銀…

マレー半島・シンガポールへ

昭和16年(1941年)12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、昭和17年(1942年)1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入しました。この快進撃を支えたのは現…

マレー沖海戦

昭和16年12月10日、マレー半島東方沖で、日本海軍の航空部隊(一式陸攻、九六式陸攻)とイギリス海軍の東洋艦隊の間で行われた戦闘で日本軍はイギリス海軍が東南アジアの制海権確保の為に派遣した戦艦2隻を撃沈し、「作戦行動中の戦艦を航空機で沈め…