日本なかりせば

 1955年(昭和30年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は大歓迎を受けました。

「よくきてくれた」
「日本のおかげだ」
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった」
大東亜共同宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた」
「アジア民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く」

 2005年(平成17年)バンドン会議50周年を記念して開かれたアジア・アフリカ会議
小泉首相(当時)の演説
「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」・・・的外れな演説です。


1992.10.14香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部


 東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
 もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう。

 マハティール首相の「日本なかりせば」演説は米を警戒させ、クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」などとほざきました。
 平成6年(1994年)にマレーシアに訪問した村山富市首相(当時)、土井たか子衆院議長(当時)は型どおり謝罪するとマハティール首相はこう述べました。

「日本が五十年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」
「日本に対して今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」

 このマハティール首相の言葉に村山総理は何の言葉も返せませんでした。
 しかもシンガポールで華僑ゲリラの慰霊碑に謝罪を述べています。死者に対して慰霊するのは構いませんが、違法であるゲリラに謝罪するなどキチガイ行為です。


 東南アジアは華僑を追い出すのに多大な苦労してきており、ゴキブリのように侵入してくる華僑をブロックしたい思いがあります。
 麻生前総理は「自由と繁栄の弧」を主張しました(日本がリーダシップをとる)ところが、鳩山総理はシナ様を盟主とする東アジア共同体構想を出してきました。小沢幹事長人民解放軍野戦司令官らしい。


マハティール氏
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」

 大戦で命を捧げた英霊も同じ思いでしょう。



参考文献
 「自らの身は顧みず」田母神俊雄
 「反日マスコミの真実2010」『誰のための東アジア共同体か』高山正之
 「渡部昇一の昭和史」渡部昇一
参考サイト
 「日本なかりせば」演説
   http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/maha.htm
 WikiPedia「マハティール・ビン・モハマド」

添付写真
 マハティール・ビン・モハマド(PD)

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