タイ国王の権威


 タイはアジア唯一の王国です。マレーシアは貴族が持ちまわりで国王の座につく「選挙王制」の国で世襲ではなく、通常言う王国ではありません。君主国といえるのは日本とタイです。

 現在のタイの王室は1782年、プラプッタヨート・ファーチュラーローク王から始まりラッタナコーシン朝と言われます。王はラーマ一世とも呼ばれます。ラーマ一世は新都を建設し、クルンテープ(天使の都)と称しましたが、外国人はかつてのトンブリーの通称であったバンコクをそのまま使用し、現在にいたっています。ラーマ一世はワット・プラケーオ(エメラルド寺院)を建立し、ビエンチャンに遠征したとき持ち帰ったエメラルド仏を祀ります。このエメラルド仏はインドラ神の宝石と言われ、インドラ神とその配下のヴィッサカンマ(ヴィスカンマ)がつくったとされるものです。あちこちへ移動し、タイのチェンマイに安置されていたこともあり、この物語はなかなか面白いので文末に推奨ブログサイトを記しておきます。

 1992年の「5月の暴虐」でスチンダー首相がプーミポン王の前に跪き王の靴に頭を擦り付けて挨拶をしているシーンが放映され、国王の権威の高さを世界が認識しました。タイではクーデターが頻繁に起こっていますが、国が壊滅的な事態にならず繁栄に向かっているのはこの国王の権威があるからといえるでしょう。権威の下に民は安定します。
 この国王の権威は比較的新しい伝統で、1932年は立憲革命が起こり、絶対王政が終了しています。ここで王の権威は失墜していますが、この後に、ナショナリズムを高揚させたピブン時代に入り歴史上の英雄である王に対する認識が高められ、「開発」の時代へかけて、特にサリット時代に権威主義がとられました。そうした政策だけでなく、アユタヤー朝より国王は仏教を信奉し、宗教の擁護者であるということから、信仰心の厚い国民は圧倒的に国王を尊敬しています。また、タイの国王は商人の代表者という性格もあります。

 タイの憲法では国王は「神聖不可侵」の元首であり、タイ王国軍の総帥の地位にあります。なんだか日本の明治憲法に似ています。タイの国王の権威を見ているとGHQ作成の日本の憲法も「天皇は神聖不可侵の元首」という部分ぐらいは明文化して挿入すべきように思います。そうしないと、GHQの目論見どおり、ルールを無視して不敬を働く政治家が増えるような気がします。



チエンマイの原風景
 エメラルド仏伝−1−  http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/12773712.html
 エメラルド仏伝−2−  http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/13434286.html
 エメラルト仏伝(3) http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/13872761.html
 エメラルト仏伝(4) http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/14428320.html
 エメラルト仏伝(5) http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/14843783.html
 エメラルト仏伝(6) http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/15273196.html
 エメラルト仏伝(7) http://blogs.yahoo.co.jp/athityuthay/15535995.html
 

参考文献
 「物語 タイの歴史」柿崎一郎著
 「タイのこころ」ククリット・プラモートチット・プーミサック著 田中忠治編訳・解説
 「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」中西輝政

添付画像
 チュラローンコーン(ラーマ5世)(PD)

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