日本人は人間の範疇ではなかった


 会田雄次氏は1943年に応召しビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍。終戦でイギリス軍の捕虜となり1947年に復員するまでラングーンで拘留されました。このときの体験を「アーロン収容所」という本に残しています。

 会田氏は部屋の清掃係となり、女兵舎の掃除のときのことです。


 その日、私は部屋に入り掃除をしようとして驚いた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろを振り向いたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横たわりながら「ライフ」か何かを読んでいる。何の変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコをすい始めた。
 入ってきたのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし、日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである。

 当時、日本人は人間と思われておらず、家畜同然と見られていたことを物語る話です。ビルマ人やインド人に対しても同様でしたが、彼らは愛想よく振りまいていたようです。長い間の植民地支配によるものでしょう。しかし中には日本兵に向かって「なぜ戦争をやめた。もう一度やって、あいつらを追い出せ」というビルマ人もいたそうです。捕虜の食事には砂がまじっており、それに抗議すると「日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである」と抗議を不審そうに大真面目に真剣に回答されたといいます。
 
 白人らはサーカスと同じように有色人種(家畜)を鞭で十分思い知らせて押さえ込み、好ましい植民地人をつくるために人種交配(新種の家畜)も平気でしたた。
 インドで日露戦争の日本勝利に刺激されたインド人がやる気を出し、「我々だって機関車を作れる」と言って実際につくってイギリス人に「どうです。褒めてください」というとイギリス人は烈火のごとく起こって「お前たちに機関車をつくる資格はない。二度と造るな」とメチャメチャに壊してしまったといいます。人間だけが文明の利器を操れるのであって、人間ではないものがそれを考えるのは神の摂理に反するというわけです。

 日本人を含む有色人種は人間とされませんでした。しかし、日本は1919年ヴェルサイユ会議で国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を加えるよう提案しました。ユダヤ人の差別に日本は国際社会に対して毅然とした態度をしました。そして歴史のうねりは第二次世界大戦を引き起こしました。戦後、日本の主張どおりに白人の植民地支配は終了しました。1955年のバンドン会議では日本はアジア・アフリカから大歓迎されました。こうしたことは学校も教えないし、メディアも一切語りません。しかしこれは歴史の事実であり、日本人は胸に留めておくべきです。受け止め方はそれぞれあると思います。誰かにとって都合が悪いからといって歴史を隠蔽してはなりません。



参考文献
 「アーロン収容所」会田雄次
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著
参考サイト
 WikiPedia会田雄次

添付写真
 降伏し武装解除を受ける日本軍兵士。1945年9月(PD)


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