日本人はマスターと呼ばれていた


 ジャーナリスト高山正之氏はアジアハイウェー踏査隊としてアジア諸国を回ったとき、東南アジアでは日本人はおおむね白人扱いだったと述べています。ベトナムではこっちが日本人とわかると「マスター、マスター」と呼びかけてくれたといいます。1980年代ぐらいの話と思われます。「マスター」と呼ぶのは有色人種が白人に敬意を表して呼ぶ言葉です。もちろん日本人は白人ではありません。

 昭和20年、ビルマ戦線のメイクテーラ奪還作戦で日本軍は飛行場に突入し、散開戦を挑みましたが、英インド軍が戦車で掃討してきます。日本兵掩体壕(えんたいごう)といわれる航空機を敵の攻撃から守るための格納庫に身を潜めますが、戦車の上からインド兵が「マスター、プレゼントですよ」と手榴弾が投げ込まれます。そして爆発を確認するとインド兵は「マスター、さようなら」と去っていったそうです。戦争しているのに不意打ちしない不思議な光景です。

 会田雄次著「アーロン収容所」を読んでいてもインド兵は日本兵捕虜をマスターと呼び、ビルマ人も「マスター」と呼びます。会田氏が終戦で捕虜になり強制労働をさせられているとき、ビルマ人がメシを食わせるから来いというので仕方なしについていったときの話が書かれています。会田氏はビルマ人と同じように手を使って食べたところ、ビルマ人たちはワっと歓声をあげます。
「やっぱりニッポンのマスターはえらい!」
「イギリス人は自分たちと食事など絶対しない。手で食べるのは野蛮人だという」
「イングリ(英国人のこと)はイカン、イカン」

「戦争は本当に負けたのか。負けても日本のマスターがたくさん居てくれるので自分たちは心強い。どうか帰らないでくれ。武器はどこに隠してあるか。いざというときは一緒に戦おう。また勝つさ」

 日本人は日露戦争大東亜戦争と白人に対して正面から戦ったから尊敬の念で見られていたのですね。それだけではなく、日本人はアジアの民族を同胞とみて、白人のように差別しなかったからというのもあるでしょう。この話を職場で周りの人にしたことがありますが、マスターと呼ばれていたことを知っていた人はいませんでしたから、ほとんどの日本人は知らないでしょう。かつて日本人は崇高な理念を持って戦いました。日本国内ではそのような話はタブーとされていますが、特亜以外の諸国は認めています。日本人は歴史に誇りを持てばいいのです。



参考文献
 「アーロン収容所」会田雄次
 「日本はどれほどいい国か」日下公人高山正之共著

添付写真
 ビルマ中部で象と遭遇した第255インド機甲旅団の中戦車(PD)

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