日本軍の現地徴発


 以前、NNNが「兵士たちが記録した南京大虐殺」というのを放映していましたが、ひどい内容でした。その中で兵士が現地徴発を行ったと述べており、上海から南京へ向かう間にあたかも民間から略奪、強奪したかのように報じていました。実際に日本軍が現地徴発することがありましたが、対価を払って行うものでした。日本軍は軍律が非常に厳しく、兵士は「陸軍刑法」を必ず携帯させられており、違反があれば厳しく罰せられました。住民からの略奪は懲役1年以上。婦女暴行は無期懲役または懲役7年以上。住民を傷つければ無期懲役または懲役7年以上。住民を殺害すれば死刑または無期懲役です。南京戦では16師団大野部隊、野田部隊の証言をみてみると強姦は銃殺だと認識していたようです。

 歩兵上等兵従軍記「征野千里」谷口勝著 昭和13年12月(GHQ焚書図書開封)に南京事変で戦闘が終わったあと、南京から南西の蕪湖に駐留したときのことが書かれています。現地で支那兵捕虜に金を渡して徴発したことが書かれています。

 蕪湖の街はたちまち復興して物売りの数は一日一日と増えていった。女や男の子供が、玉子や葱(ねぎ)などをいっぱいかごに入れてしつこくつきまとう。ベラボウな懸値(かけね)をいって、葱一束で
 「壱銭(イーモチェン)」と言う。
 「二つで壱銭(リャンカ イーモチェン)」
 と指二つだしてみせても、首を振ってなかなかまけない。
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 そこで捕虜の李に金を渡し、彼に徴発させますが、どうも持ってくるものがおかしい。

 李はフキンのほかに徴発してきた青や黒の服を沢山もっていた。
「李、それをどうした」
 と聞くと、持っているのが当たり前のような顔をして黙って笑っている。李は何でも持ってきた。どこをどう探すのか、私たちが知らぬ支那街の秘密でも知っているのか、馬糞と小便壺のほかなにもない筈の小屋からも必ず綿入れの一枚、銀の水ギセル一つ位は探し出してきた。
「李、どこから持ってきたッ」
ときめつけても徴発の水ギセルで早速スパースパーやってそっぽを向いている。
「コラ!あったところへ返して来い」
と言って銃剣をとってみせると、なぜおこるのかという風に、真ん丸い頭をひねって不審そうに考えたりする。
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 李はおそらく盗んできた(というか、盗むことが悪という認識がない)ようですが、それを日本兵が指示したとなれば大変なことになるので、この兵隊さんは怒っているのです。日本軍の軍規が根付いていたことがわかります。

 現在、中共は日本軍は略奪していったといい、日本軍は「三光作戦」と称して「焼き尽くす、殺しつくす、奪いつくす」を行ったと宣伝しています。以前にも書きましたが三光の「光」は日本語では明るい光の意味しかありません。「光」に殲滅、皆殺しの意味が付帯するのは支那語です。辞書を引けばわかります。日本軍は作戦名を支那語でつけたりしません。中共のでっち上げであることがよくわかるでしょう。


参考文献:「GHQ焚書図書開封西尾幹二
     日新報道「南京の真相」
     「南京大虐殺まぼろし」鈴木明著

添付画像
 陸軍刑法 日新報道「南京の真相」より

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