ならずもの韓国人が被害者になった歴史

 戦後、朝鮮人、台湾人はGHQにより三国人と位置づけされ、それぞれ内地から朝鮮半島、台湾へ戻す政策がとられましたが、内地に居残った朝鮮人がいました。彼らの中から「朝鮮進駐軍」と称して横暴の限りを尽くす集団が現れました。「直江津駅リンチ殺人事件」が代表的なもので、闇米のブローカーの朝鮮人2,3人が窓を叩き割って列車に乗り込もうとしたところ、日本人乗客に阻止され、やむを得ずデッキにぶらさがって次の駅に到着したのち、進入を防いだ先ほどの日本人を鉄パイプやスコップで滅多打ちにして撲殺した事件があります。
 警察の記録によるとこの当時在日朝鮮人によって起された事件は、昭和20年に182件、昭和21年に5,336件、昭和22年に5,681件となっています。

 昭和26年(1951年)に人類学者の泉靖一氏が東京都民を対象に行った「異民族」に対する態度調査によると、朝鮮人はもっとも好感度の低い集団とされ、「不潔」「文化が低い」「ずるい」「経済的にためにならぬ」「日本をばかにする」「日本のためにならぬ」「日本をうらんでいる」「みにくい」「腹黒い」「無礼」といった否定のオンパレードでした。朝鮮人といえば無法者集団という印象を日本人が持っていたわけです。ところが現在はその朝鮮人が「被害者」のイメージになっています。私が子供のころも「差別があった」「”朝鮮人”と言ってはならない」と教えられました。なぜこのようなことになっているのでしょう。

 首都大学東京教授の鄭大均(てい たいきん/チョン・ テギュン)氏は以下のように推察しています。
「60年代に半ばに刊行された一冊の本に触れるだけにしたい。朴慶植著『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)がそれである。
 <中略>
 この本は刊行されるや、あるタイプの日本人たちには啓示を与える書となったようである。日本国の加害者性侵略者性というアイデンティティを重視するタイプの日本人がそれで、以後自分の生活地である故郷に朝鮮人強制連行の痕跡をたどろうとする活動が全国的に展開され、多くの刊行物が出版されている」

 氏はそれでもこの頃は関心を寄せる人間は少人数だったといい、状況が変わったのは80年代だと述べています。

「80年代は、日韓の間に教科書問題という外交問題が生じた時期であるとともに、在日コリアンにたいする指紋押捺制度がマスメディアに取り上げられた時期であり、またソウルオリンピックの開催を機に、韓国ブームが引き起こされた時期である。80年代は、戦後の日本において、韓国や在日のテーマが大手のテレビや新聞・雑誌で話題になったはじめての機会であり、その解説者の役割を担ったのはコリア学の専門家たちであるが、その多くは被害者論的在日論を自明のものとする人々であった。'''在日一世の大部分は、自発的に当時の内地である日本に渡航してきた人々であり、また日本に居残ることを選択した人々である。だから、戦時期の朝鮮人に対する労務動員を『強制連行』と表現し、それを在日コリアンに結びつけて語るような議論はおかしい'''のだが、そのことを指摘する在日もいなかった。日本国の加害性と在日の被害性をワンセットで考える思考は、80年代の韓国ブームの置き土産として人々の心や身体に残されたのである」

 どうやらメディアに乗って知識人らが金脈をつかんだようです。被害者ビジネスとでもいいましょうか。在日一世の中には戸惑った人もいたかもしれませんね。鄭氏は在日のネガティブなイメージは改善されたが、在日であるという身分を自分の人生に流用しようとするコリアンが出てくる危険性もあると指摘しています。かわいそうな被害者として特権を持てば自立できなくなるでしょう。

 ウソの歴史で利権を得る輩は後を絶ちませんね。



参考文献
 オークラ出版「拉致と侵略の真実」『ヤミ市を支配した朝鮮ヤクザ』野村旗守
 歴史通WiLL2010.1月号「在日のヒーロー姜尚中の役どころ」鄭大均

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 朝鮮進駐軍の横暴 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/20610370.html

在日のタブー☆朝鮮進駐軍☆について
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