南京ホラ話を最初にでっち上げたのは誰?

 南京大虐殺という南京ホラ話を最初にでっち上げたのは誰でどのような目的だったのでしょうか。

 これは蒋介石の国民党が「宣伝戦」によって世界が日本を敵視するようにするための戦略から始まっています。「国民党中央宣伝部」というのを創設しました。国民党極秘文書には以下のことが書かれています。


 成都の華西や金陵などの外国人教授を特約として多数招聘(しょうへい)し、教務のほかに当処(国際宣伝処)において英文パンフレットの資料選択と編集や、最終的な審査工作を担当してもらう。編集委員会を設立し、アメリカ人のプライス博士を主事とする。プライス博士はわれらの良き友であり、協力してもらえるので実に助かる。

 外国人に宣伝してもらおう、というものです。第三者である外国人に宣伝してもらったほうが信じられやすいからです。英国のマンチェスター・ガーディアンの記者のティンパーリーという人を使い「外国人の見た日本軍の暴行」(戦争とは何か)を編集させ、欧州にホラを撒き散らしています。ティンパーリーははスマイス博士に南京の被害調査を依頼していますが、調査結果、南京市内の日本軍の暴行による死者は2,400人となっています。(これもトリックがあると思われる)ティンパーリーは実は国民党中央宣伝部の顧問であり、「外国人の見た日本軍の暴行」(戦争とは何か)の内容は国民党政府顧問のベイツ教授とフィッチ師が執筆したものでした。フィッチ師の妻は蒋介石夫人と親友です。


 われわれが発表した宣伝文書を外国人記者が発信すれば、もっとも直接的な効果があるが、しかしそのためには彼らの信頼を得て初めてわれわれの利用できるところとなる。この工作は実に難しいが、決しておろそかにしてはならない。
 さらに国民党中央宣伝部はティーパーティーなど開いて一般の外国人記者と親交を深めていきます。そして南京陥落(12月13日)後に国民党政府顧問のベイツ教授(表の顔は南京大学教授、国際委員会)は自らのレポートを外国人記者にわたします。(12月15日)このレポートをもとに日本軍の暴行記事を書いたのが「シカゴ・デイリー・ニューズ」のスティール記者と「ニューヨーク・タイムズ」のダーディン記者です。


シカゴ・デイリー・ニューズ(12月15日)

 南京の包囲と攻略をもっともふさわしい言葉で表現するなら<地獄の四日間>ということになろう。・・・南京陥落の物語は、落とし穴に落ちた中国軍の言葉に絶する混乱とパニックと、その後の征服軍による恐怖の支配の物語である。何千人もの生命が犠牲となったが、多くは罪の無い人たちであった。・・・それは羊を殺すようであった。・・・以上の記述は包囲中の南京に残った私自身や外国人の観察にもとづくものである。

 ニューヨーク・タイムズのダーディン記者は"非戦闘員”の殺害と書いています。(12月17日)ところがロイターのスミス記者、AP通信にはシナ兵の処断については書いてあっても非戦闘員の殺害など書いていません。ここが宣伝工作の難しいところで、足並みがそろわないと信じてもらえない。

 国民党政府は米国のこれらの大虐殺報道とはうらはらに、その後の300回に及ぶ記者会見で南京大虐殺に触れもせず、世界に訴えたり、外交ルートを通じて日本政府に抗議することはなく、唯一、これらの新聞記事をもとに国際連盟に訴えたのみです。国際連盟はこれを無視しました。




参考文献
 「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道
 「『南京事件』の探究」北村稔著
 「南京大虐殺まぼろし」鈴木明著
 「南京事件の総括」田中正明


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