辛勝だった陸上戦 〜 坂の上の雲

 日露戦争の陸上戦の経過を追っていると奇跡に近いような勝ち方をしています。私の理解では日本海海戦は奇跡ではなく勝つべくして勝った、ですが、陸上戦の南山から奉天に至るまでの戦闘は奇跡と言えます。

 地図がないとわかりにくいのですが、だいたい南から北へ日本軍はロシア軍と戦っています。

 鴨緑江 -> 南山 -> 特利寺 -> 大石橋 -> 遼陽 -> 沙河 -> 黒溝台 -> 奉天

 鴨緑江は朝鮮と満州の国境でここでは日本軍は圧勝。南山は要塞化されており、苦戦しましたが、海上からの艦砲射撃により撃破。
 遼陽会戦で日本軍は既に弾薬不足(旅順を優先した)の状態で兵力もロシア22万5千に対し、日本軍は13万5千。これは勝てない。しかし黒木為腊司令官は迂回作戦を展開し、少数でロシア軍を包囲しはじめます。この黒木軍の活躍は外国観戦武官も驚愕しています。日本軍は大損害を出しながらもロシア軍を撤退させることに成功します。
 沙河会戦もロシア圧倒的有利の状態で、日本軍は弾がない。そこで夜襲をかけます。ここでロシアのクロパトキン総司令官の状況判断ミスがあり、ロシア軍が撤退。これには日本軍が一番驚きます。
 奉天の決戦ではロシアの総兵力37万に対して日本軍は旅順から第三軍を呼び寄せますが、それでも24万5千。大激戦となりますが、時間がたてばたつほど兵力、火力とも少ない日本軍は不利となります。黒木司令は秋山支隊わずか3千を大きく迂回させ敵側面をつかせます。猛烈な砂嵐で視界が不良の中、ロシアのクロパトキン司令は日本軍の主力に包囲されたと勘違いし、またまた撤退。日本軍は追撃を行い、ロシア軍捕虜2万を得ます。3月10日のことです。(後の陸軍記念日)日本軍の死傷者7万5千、ロシア軍9万。余談ですが、日本軍は脚気患者が多く、戦死者より多かったのではないかと言われています。

 奉天占領後、児玉源太郎満州派遣軍参謀長は東京に帰り停戦の段取りを依頼しています。もう弾がないのです。あとは連合艦隊の勝利を祈るだけとなります。

 これら陸上戦はほとんど奇跡に近い勝利で、「坂の上の雲」の通り、秋山騎兵隊の活躍は見逃せないところでありますが、やはり国の存亡をかけての肝の入り方が勝敗を分けたと思います。我々は大陸の過酷な環境下で戦った日本兵士を讃えようではありませんか。今日本が存在しているのは彼らのおかげです。


参考文献
 「歴史通」WiLL10月号『日露戦争 陸上戦闘の研究』三野正洋
 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 PHP研究所「歴史街道」2009.11『日露戦争の真実』渡部昇一
 「坂の上の雲司馬遼太郎
参考サイト
 WikiPedia「黒木為腊」
参考映像
 日露戦争_参 http://www.youtube.com/watch?v=3EcMGWAf1JU
添付写真
 歩兵第19連隊西盆溝西北方高地での戦闘 〜 国立公文書館より


広島ブログ クリックで応援お願いします。