南京虐殺のウソ

南京大虐殺のデタラメ証言とマスコミ

デタラメ証言あり、マスコミのウソ垂れ流しあり。そして国民は洗脳された。 昭和12年(1937年)12月、支那事変南京戦がありました。第16師団(京都)歩兵第20連隊(福知山)中隊長だった森王琢(もりおう みがく)さんは平成4年(1992年)…

スマイスは南京大虐殺を見ていない

国際委員会のメンバーは南京大虐殺を見ていない。 昭和12年(1937年)12月、支那事変南京戦があり、日本軍による南京占領後、南京大虐殺があったと言われてきました。このとき一般市民は安全区と言われる南京城内の一区画に避難しており、外国人メン…

南京郊外の虐殺は支那軍の仕業だった

南京郊外の虐殺を日本軍の仕業にすり替えている。 昭和12年(1937年)12月、支那事変南京戦で30万という大虐殺があったといわれてきましたが、どう考えても無理があることは多くの人の知るところになってきています。歴史家の笠原十九司氏は虐殺肯…

南京の日本軍の動きでウソ証言はわかる

部隊がいないところで事件はおこらない。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で南京大虐殺があったといわれますが、展転社「南京事件の核心 データベースによる事件の解明」冨澤繁信(著)を見ると、非常に事件の検証がしやすくなります。当時…

南京虐殺プロパガンダ本にご用心

日本人による中共のためのプロパガンダ。 昭和12年(1937年)12月、支那事変南京戦で南京大虐殺があったといわれ、それを裏付ける日本兵の証言がよく取り上げられてきました。10年ほど前に出版された「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて 元兵士102…

南京虐殺のデッチあげ証言にご用心

お年寄りは記憶もあやふやで、あることないことしゃべるもの。 昭和12年(1937年)12月、支那事変南京戦で南京大虐殺があったといわれ、それとわかる日本兵の証言がよく取り上げられてきましたが、証言というのは裏取りしなければ犯罪の立証には使え…

夏淑琴さん事件の真犯人は誰か

真犯人は支那の便衣隊だ! 夏淑琴(か・しゆくきん)さん事件というのは昭和12年(1937年)12月13日、支那事変南京戦で、日本軍が南京を陥落させ、城内に進入したとき、夏さん一家と家主一家13名のうち11名を殺害したとする事件です。生き残っ…

夏淑琴さん事件は12月13日に発生したのではなかった

反日プロパガンダに使われている夏淑琴さん事件は再検証すべき。 夏淑琴(か・しゆくきん)さん事件というのは昭和12年(1937年)12月13日、支那事変南京戦で、日本軍が南京を陥落させ、城内に進入したとき、夏さん一家と家主一家13名のうち11…

夏淑琴さん事件の怪

日本軍の仕業であれば、おかしな事件。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で13日に日本軍が南京城内へ入り掃討戦を開始しました。このとき、日本兵に家族らをレイプされ、殺害されたとして、生き残った当時8歳の夏淑琴(か・しゆくきん)さ…

ラーベは南京大虐殺を見たのか

国際委員会の委員長であるラーベは南京大虐殺を見ていなかった。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で13日の南京城陥落後、六週間にわたって30万人が殺害されるという南京大虐殺があったといわれてきました。このとき難民は外国人メンバー…

南京大虐殺はいったいどこで行われたのか

いくら探しても南京大虐殺の実態は出てこない。いったいどこで虐殺はあったのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で13日の南京城陥落後、六週間にわたって30万人が殺害されるという南京大虐殺があったといわれてきました。南京のいった…

ヴォートリンが南京で見たもの

ヴォートリンは南京で8000件におよぶ強姦事件を何件見たのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍は南京市を占領しました。ここで日本兵が殺人、略奪、強姦、放火といった蛮行を繰り広げたと言われています。難民を受け入れて国際…

南京事件の日々

ヴォートリンは南京をどう過ごしたのか。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍は南京市を占領しました。このとき、外国人による国際委員会が設置され、一般市民は安全区と言われる区域に保護されていました。ここで日本兵が蛮行を働いた…

外国人記者たちは南京大虐殺を見ていない

誰も見ていない南京大虐殺。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏とシカゴ・デイリー・ニューズの…

スティール記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン記者もスティール記者も南京大虐殺を見ていない。 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏…

ダーディン記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン自身は南京大虐殺を見ていなかった。 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったと世界に知らせたとなっているのはニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏です。ダーディンは南京大虐殺を見たの…

南京虐殺を世界に知らせたというダーディンは嘘をついたのか

ダーディンは嘘をついたのか? 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったとして、ニューヨークタイムズのF・ティルマン・ダーディン氏が12月18日に伝えました。 ニューヨーク・タイムズ宛特電 「南京における大規模な虐殺…

南京虐殺幕府山事件の印象操作

自衛行為だった幕府山事件。 昭和12年(1938年)12月の南京戦でよく言われるのが南京城外の幕府山で捕虜を大量処刑した、という話です。これが南京虐殺に相当するというものです。関与したのは山田支隊の歩兵第65連隊両角(もろずみ)部隊と言われ…

無人地帯で南京大虐殺は不可能

人がいないのに大虐殺などできない。 昭和12年(1937年)8月13日、支那軍が上海の日本海軍陸戦隊を攻撃し、第二次上海事変が勃発しました。支那軍は3万、日本海軍陸戦隊はわずか4千。日本は陸軍を派遣します。戦闘は大激戦となり、11月5日の日…

南京虐殺の人口トリック

20万人を30万虐殺できない。 ホロコースト、広島・長崎の原爆とならぶ世界三大虐殺と言われてきた「南京大虐殺」ですが、陥落当時(昭和12年 1937年12月13日)の南京の人口が20万であるのに、30万殺害できるわけがないことは小学生でもわ…

マンガで学ぶ、南京大虐殺という大ウソ

南京大虐殺のウソをわかりやすくマンガで解説したブログ。 今年の2月に名古屋市長の河村たかし氏が「南京大虐殺はなかった」と発言して南京大虐殺が大嘘であることを知った人も多いのではないでしょうか。 南京大虐殺というのはマンチェスター・ガーディア…

誰も見ていない、誰も知らない南京大虐殺

大虐殺を見た人も、認識していた人もいない。 昭和12年(1937年)12月13日、支那事変南京戦で日本軍は南京城内に突入しました。大東亜戦争後、ここで30万に及ぶ大虐殺があったと言われてきました。 南京は城壁に囲まれた城内と城外があり、城外…

死体なき大量殺人 〜 南京大虐殺は捏造!

遺体処理の数が捏造されていた。 昭和12年(1937年)12月13日、支那事変南京戦で日本軍は南京城内に突入しました。ここより3週間にわたり30万にのぼる市民が大虐殺されたと言われてきましたが、死体はどこへいったのか? 戦後間もなくの東京裁…

幽霊でも殺害したのか? 〜 南京大虐殺は捏造!

幽霊でも殺害しなければ30万にはならない。 昭和12年(1937年)12月13日、支那事変南京戦で日本軍は南京城内に突入しました。 報知新聞 二村次郎カメラマン 「(城内に)中国人は誰もいませんでした。47連隊とはそこまでで、城内に入ってから…

南京戦のスマイス博士の調査

昭和12年、南京には国際委員会というのがあり、書記に金陵大学のスマイス博士という人がいます。この人が南京戦の被害調査を行っています。<死亡原因>(都市部調査) 軍事行動 800人 (冲突) 兵士の暴行 2,400人 (事故) インチキ日本人はこの…

続・南京ホラ話

1937年の南京事件を蒸し返したのは日本のマスコミで、朝日新聞の本多記者の「中国の旅」(昭和46年)が出発点となっています。マスコミや知識人が「南京大虐殺」を叫びはじめます。東京裁判はGHQによる日本弱体計画として南京大虐殺をでっち上げま…

海軍も南京にいた

1937年の南京戦では海軍も参加していたんですね。あまり知られていないかもしれません。海軍11戦隊が揚子江を上り、下関に到着して下船して13日には南京城内に入っています。 砲艦勢多艦長 寺崎隆司少佐 13日の午後3時15分です。中興碼頭には日…

南京の安全地帯

1937年11月の南京で国際委員会(ラーベ委員長)というのが作られ、中立地帯が作られます。ここは非武装中立地帯ですが、実際は軍事施設があり、国際委員会は蒋介石に軍事施設を撤退するよう求めますが、守られず、日本軍も非武装地帯としては認めませ…

戦時国際法から見た南京陥落後の支那兵

戦争時はハーグ陸戦法規という一定のルールがありました。「交戦者の資格」というものがあります。 1)部下の為に責任を負う者に在ること 2)遠方より認識し得べき固着の特殊標章を有すること(軍服などのことです) 3)公然兵器を携帯すること 4)その…

卑怯者の支那兵

1937年の第二次上海事件で、日本軍第三師団が上陸しようとしたとき桟橋の上に、日本の愛国婦人会のような多数の女性が、手に手に日の丸の小旗を持って迎えました。兵士は安心して次々に桟橋に降り立ちましたが、それまで並んでいた女性たちの姿はたちま…