緊張が走る真珠湾

 1941年(昭和16年)11月26日ハル・ノートは事実上の最後通告であり、開戦が決定づけられました。この年の1月24日の時点ですでに米海軍長官のノックスは陸軍長官のスティムソンに「日米開戦は必至」と伝えており、「そのとき日本側は必ず真珠湾を攻撃してくる」「それは夜明けの奇襲となるであろうから警戒措置をとるように」と手紙を出しています。

 11月27日(米時間)スターク海軍作戦部長は大統領の戦争警告を海軍の全指揮系統に流します。(インガソル次長が最初に流す)ハワイでも電報を受け取ります。

 陸軍は次の電報を西部防衛司令官に送った。『日本との交渉は合意に達することなく中断した模様で、日本政府が交渉の継続を提案している可能性はわずかとなった。日本の今後の動きは予測不可能だが、いつ何時武力行使に出るかもしれない。戦闘行動を避けることが出来ない。くり返す。できないのであれば、米国は日本が最初に明白な行為をとることを希望する。この政策は貴隊の防衛力を危険に陥れるかもしれない行動方針をとるよう制限していると解釈されるべきではない。くり返す。解釈されるべきではない。日本の武力行使に先立って貴官が必要と思う偵察及びその他の手段をとるよう貴官は指示されているが、しかしこれらの手段は市民に警戒心を与えたり、もしくは意図を明かさないよう。くり返す。警戒心を与えたり、もしくは意図を明かさないよう実施されるべきである。』・・・

 ハワイでは既に11月19日に無線傍受により日本の艦隊が北方にいるのをキャッチしており、日本軍が北からやってくることを想定し、太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将は23日から24日には演習を行い、日本機動部隊を捜索しています。しかし、作戦部のインガソル次長が「日本を挑発するな」と指示があり、演習を中止しています。この後、キンメル大将は日本の機動部隊を捜索するようハワイ無線監視局HYPOに指示しています。
 
 陸軍ではショート大将が「市民に警戒させない」命令を考慮し、レーダ監視を強化し、日曜日も絶えず監視することを指示し、日本軍来襲に備えます。
 11月28日、ハルゼー中将はエンタープライズウェーク島へ航空機を運びます。12月5日は空母レキシントンでミッドウェー島へ航空機を運搬します。キンメル大将は48時間以内に戦争が勃発した場合を想定して作戦参謀のマックモリス大佐に艦隊の秘密行動計画を作成させ、週末を迎えることになります。

 「真珠湾の真実」によると無線監視局から重要な情報がキンメル大将に届いていないと指摘していますが、日本軍の来襲は当然のこととして待ち構えていたのですね。



参考文献
 「真珠湾の真実」ロバート・B・スティネット著
 「GHQ焚書図書開封西尾幹二


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