戦時国際法から見た南京陥落後の支那兵

 戦争時はハーグ陸戦法規という一定のルールがありました。「交戦者の資格」というものがあります。


1)部下の為に責任を負う者に在ること
2)遠方より認識し得べき固着の特殊標章を有すること(軍服などのことです)
3)公然兵器を携帯すること
4)その動作に付き戦争の法規慣例を遵守すること

 南京陥落のとき支那軍の大将はトンズラしていましたし、高級将校は安全区の中に隠れました。便衣兵は民間人の服を着て安全区の中に隠れました。武器も隠し持っていました。つまりハーグ陸戦法規に違反していたということです。交戦の資格を有しないものは「捕虜」になることはできません。

 当時の法規の認識として日本本土決戦計画の「国民義勇隊」を組織する話の中で南原東京帝国大学法学部長は以下のように述べています。

「ゲリラをしますとね、虐殺されても仕方がないのです。本当の戦闘員ですと、捕虜として待遇され、そうひどい目に遭うことはないですが、ゲリラですと直ちに殺されても文句はいえません。あれは一番ひどい目に会います」

 おそらくこれが当時の法解釈のスタンダードでしょう。現在の世の中は人権とか人道とかが確立されていますから現代感覚で見るのは誤りでしょう。南京戦で敗残兵を一部処刑していますが、これは法律上仕方がないという見方ができます。一方、違法という意見の人もおり、ハーグ陸戦法規の「前文」には、各条文の内容を「人道的見地から運用する必要」というのがあり、「捕虜の処刑に対しては裁判の手続きを要する」という人もいます。ただ、私の感覚(素人意見ですが)では現代感覚に照らし合わせた「人道」であり、当時の感覚ではないように思います。戦場という異質な状況も考慮しなければならないでしょう。

 当時の安全区にいた欧米人も国際法上の「判断」に基づく主張はなく、宣伝本であるティンパーリーの「戦争とは何か」にしてもオーストラリア人技師が「われわれは日本軍による合法的な死刑執行に対して何ら抗議する権利はないが・・・」と書いています。また、国民党政府顧問のベイツ教授でさえ、安全区に隠れていた兵士が摘発されたとき「この男がもと兵士だったならば、われわれは手出しはできない」という軍事上の判断を示しています。国民党の宣伝本やスパイでさえ国際法違反という感覚はほとんど無かったということです。亜細亜大学東中野教授の研究では宣伝本の「戦争とは何か」でも日本軍の捕虜の処刑の違法性の部分を削除し、執筆したベイツ教授が認識していたとし、国民党は国際法上の観点も研究していたはず、と述べています。



参考文献
 「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道
 「南京事件の探究」北村稔著

添付写真
 「南京陥落後の街頭にて」(昭和12年12月20日)、林特派員撮影、同25日、朝日新聞に掲載
    〜 日新報道「南京の真相」

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