日露戦争

旅順攻略戦の乃木将軍

乃木将軍は愚将ではない。 「遺骨が一つ届いたからといって、慌てて葬式を出すな。三つ届いてからにしろ」 乃木希典(のぎ まれすけ)陸軍大将は家族にこういい置いて旅順へ向かいました。長男の勝典(かつすけ)中尉、次男の保典(やすすけ)少尉も日露戦争…

大誤算から始まった日本海海戦

皇国の興廃此の一戦にあり。誤算に続く誤算。連合艦隊の運命は東郷平八郎に託された。 「必ずこれを撃滅いたします」 司馬遼太郎著「坂の上の雲」によると明治37年(1904年)12月に連合艦隊司令長官・東郷平八郎は参内し、明治天皇がバルチック艦隊…

「本日天気晴朗ナレトモ波高シ」、連繋機雷作戦使えず

「本日天気晴朗ナレトモ波高シ」・・・この意味は? 日露戦争真っ只中の明治37年(1904年)8月19日、ロシアの旅順艦隊は旅順港を出航し、ウラジオストックへ向かいました。日本連合艦隊は阻止すべく出撃します。連合艦隊は旅順艦隊を捉え、艦隊の頭…

軍人だけでない、打倒バルチック艦隊

明治人は総力をあげて戦った。 明治37年(1904年)2月、日露戦争が勃発しました。日本海軍は旅順口外、黄海、蔚山沖の海戦でロシア旅順艦隊、ウラジオ艦隊を撃滅。そしてロシアは10月15日バルト海のリバウ港からバルチック艦隊を出航させました。…

本木雅弘が語る「義勇」

教育勅語は戦後言われるほどおかしいか? 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(教育勅語より) NHK「坂の上の雲」で秋山真之(あきやま さねゆき)役を演じている本木雅弘氏が「歴史通」紙上「明治は”義勇”に満ち満ちていた」とイ…

二百三高地、死の命令

日本人は死へ向かってなぜ突撃できたのか。 司馬遼太郎著「坂の上の雲」では旅順攻略の司令官、乃木希典大将を愚将のように描いて、児玉源太郎がきてうまくいったように書いていますが、ここの部分はかなりフィクション化しており、実際には児玉源太郎が来な…

広瀬武夫の最期

軍神・広瀬 明治37年2月8日、日本海軍は旅順港外のロシア艦隊を夜襲をかけ、日露戦争の火蓋は切って落とされました。 この旅順港攻撃によってロシア艦隊は機雷を施設して旅順港に篭ってしまいました。そこで、日本海軍は旅順港を閉塞する作戦に出て、ロ…

日露開戦へ

国家の興亡をかけて日露開戦。 迫り来るロシアの侵略に対して、明治36年(1903年)8月からロシアとの交渉を行いますが、明治37年(1904年)1月13日に日本はロシアに対して最終提案を出します。空しく回答を待つこと3週間、日本は2月4日つ…

迫り来るロシアの脅威 〜 日露戦争

日露戦争、戦わなかったら日本はロシアの属国となり、共産革命に飲まれて数百万人が死んだかも・・・ 明治32年(1899年)、外務省通商局長、林権助は韓国公使に任命されましたが、その赴任に先立って陸軍中堅参謀将校3人より送別会に招待されました。…

義和団事件から日英同盟へ

坂の上の雲ではあまりかかれていないが柴五郎の活躍は大きかった。 日英同盟は、日本とイギリスとの間の軍事同盟です。明治35年(1902年)1月30日調印発効、大正12年(1923年)8月17日失効しています。明治のごろの世界情勢は北からロシア…

三国干渉

臥薪嘗胆、日本人は耐え忍んだ。 日清戦争に勝利した直後の明治28年(1895年)4月23日、日本には晴天の霹靂ともいう通牒が舞い込みます。ロシア、ドイツ、フランスの三国が日清戦争で得た遼東半島を清国へ返せ、といってきたのです。「三国干渉」と…

黄禍論を吹き飛ばした「金子堅太郎」 〜 坂の上の雲

日露戦争当時は黄禍論(おうかろん/こうかろん)と呼ばれる主に日本人並びに支那人を蔑視する思想がありました。こういった国際情勢でロシアと戦うのは不利であり、これを打破する任を負ったのが金子堅太郎です。 金子はハーバード大学に留学した経験があり…

日露戦争無名の主役「石光真清」 〜 坂の上の雲

日露戦争勝利の影の立役者の一人に石光真清(いしみつ まきよ)がいます。石光は明治維新の年に熊本の士族の子として生まれ、陸軍幼年学校に入学し、陸軍士官となります。その後日清戦争に出征します。 1899年、石光は軍籍を離れた形をとりロシア極東の…

明石元二郎の工作 〜 坂の上の雲

日露戦争において明石元二郎(あかしもとじろう)のスパイ活動は有名です。陸軍参謀本部参謀次長長岡外史は、「明石の活躍は陸軍10個師団に相当する」と評しました。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、「明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦…

日露戦争は日本の心も世界に知らしめた 〜 坂の上の雲

日露戦争は小さな黄色人種が大きな白人をやっつけたことにより、有色人種に希望と勇気をもたらしました。それと同時に日本の心も世界に知らしめたといえます。 旅順攻防戦終結後、水師営で行われた乃木希典とステッセルの会見は、日本の武士道精神の精髄を世…

ユダヤ人も狂喜した日露戦争の日本の勝利 〜 坂の上の雲

日露戦争ではユダヤ人ロスチャイルド、ジェイコブ・シフをはじめとする世界のユダヤ人が日本を金銭的に支援しました。他方、ロシアの外債は暴落を続けます。ユダヤ人の妨害によるものです。 遼陽会戦のちの11月10日には第二回外債1200万ポンドが売り…

弱小日本の科学の力「下瀬火薬」 〜 坂の上の雲

日露戦争において日本海海戦で連合艦隊に勝利をもたらした大きな要因のひとつとして下瀬火薬があげられます。結構有名な話でしょう。発明者の下瀬雅允は広島藩の出身で海軍の技師です。兵器製造所に勤務しました。その時の製造科の長が原田宗助という人で、…

辛勝だった陸上戦 〜 坂の上の雲

日露戦争の陸上戦の経過を追っていると奇跡に近いような勝ち方をしています。私の理解では日本海海戦は奇跡ではなく勝つべくして勝った、ですが、陸上戦の南山から奉天に至るまでの戦闘は奇跡と言えます。 地図がないとわかりにくいのですが、だいたい南から…

旅順戦の乃木将軍 〜 坂の上の雲

日露戦争の旅順攻防は有名な話で司馬遼太郎の「坂の上の雲」で乃木将軍を戦下手に描いていましたが、最近は見直されているようです。 旅順はロシアがコンクリートを用いて徹底的に要塞化しており、諸国はこのことを知っていたので永久要塞とみていました。し…

日露戦争の戦費調達 〜 坂の上の雲

1900年の義和団事件をきっかけに満州を制圧したロシアは更に朝鮮半島へ南下をしかけます。義和団事件以前の1896年にロシアと清は攻守同盟密約を行っており、大韓帝国(朝鮮)は一進会は日本支持ですが、高宗らの支配階級はロシア寄りでした。日本は…