日露戦争の戦費調達 〜 坂の上の雲

 1900年の義和団事件をきっかけに満州を制圧したロシアは更に朝鮮半島へ南下をしかけます。義和団事件以前の1896年にロシアと清は攻守同盟密約を行っており、大韓帝国(朝鮮)は一進会は日本支持ですが、高宗らの支配階級はロシア寄りでした。日本は日英同盟を結び大国ロシアに対抗します。

 ロシアと日本では国力が違い、戦力もまるで違います。(陸軍兵力で約5倍、軍艦の排水量で約2.5倍)そしてロシアと戦うにはお金が必要です。日本銀行の副総裁だった高橋是清は海外に日本の国債を売り込む使命を帯びてまず、太平洋を渡りアメリカへ乗り込みます。ですが、世界は日本とロシアが戦っても日本が勝つことは万に一つもありえないと判断しており、誰も引き受けてくれません。そして今度はイギリスへ向かいます。
 高橋はロンドンに一ヶ月以上滞在し、銀行から銀行へ精力的にまわります。日本と英国は同盟を結んでいましたから好意的ではありましたが、投資するとなると誰もが尻ごみします。それでも英国の銀行団から500万ポンドの日本の国債を引き受けてもらいます。しかし、それでは足りず、第一回の戦時国債として1000万ポンドは必要でした。高橋は途方にくれました。

 高橋是清が英国の銀行家の友人が自邸で催してくれた晩餐会に招かれて出席したときのこと。隣に座ったアメリカ人から「日本兵の士気はどのくらい高いか」といったことをはじめとして多くの質問を受けます。高橋は一つ一つ丁寧に答えます。すると翌朝、イギリスの銀行家が突然、高橋をホテルに訪ねてきて「前夜の宴会であなたの隣に座ったアメリカ人の銀行家が、『日本の国債を引き受けよう』と言っている」と言います。高橋は驚きます。その銀行家はヤコブ・ヘンリー・シフというユダヤ人でした。
 シフは500万ポンドの日本国債を引き受けてくれたのです。ときは1904年(明治37年)5月。日露戦争は始まったばかりで、まだ日本軍は大きな勝利を収めていないときです。ユダヤ人は帝政ロシアに甚だしい虐待を受けており、圧政はその極に達していたのでした。

シフの述懐
ロシア帝国に対して立ち上がった日本が、ロシアを罰する"神の杖”であるに違いないと、考えた」

 日露戦争から50年後の1966年(昭和41年)イスラエル駐日大使、モシュ・バリュトウール大使が着任した時の話しです。着任早々大使は他の外国大使がそうするように、皇居にて信任状を昭和天皇に奉呈します。このとき昭和天皇より次のような言葉を賜ったといいます。

「日本人はユダヤ民族に対して、感謝の念を忘れません。かつて我国はヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました。日本人はこの恩を決して忘れることはありません」

 昭和天皇は知っていたのですね。逆にモシュ・バリュトウール大使のほうがシフを知らずに後で調べたそうです。


参考文献
 「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
 「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著
 オークラ出版「世界に愛された日本」『日本を助けたユダヤ人 ユダヤ人を助けた日本人』岩田温

参考サイト
 WikiPedia日露戦争

添付画像
 ヤコブ・ヘンリー・シフ(PD)


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