広島人のための南京ホラ話

 私は中学校だったか、高校だったか忘れましたが、教科書に「世界三大虐殺」というのが記載されており、「アウシュビッツ」「広島・長崎」「南京」の三つが書かれていたのを覚えています。被害者が日本人である「広島」が書いてあるものの、加害者が日本人である「南京」が同時に書いてあり、原爆を落とした米を憎む一方で、日本も悪いことをしたのか、という感情がありました。これが米の狙いだったのは言うまでもありません。東京裁判南京虐殺をでっち上げ南京30万=広島20万+長崎10万の数合わせで日本人に罪の意識を植え込んで米への恨みを和らげることをやったのです。

 南京30万の虐殺といえば、組織的に行わなければ不可能であり、そしてその犠牲はしっかり刻まれるものでしょう。広島と比較すればよくわかります。

■命令書あるいは声明はあるか?
 広島:あり
 南京:なし

■犠牲者名簿はあるか?
 広島:あり
 南京:なし

■当時の政府の事件認識
 広島:日本あり、米国あり、世界中あり
 南京:日本なし、国民党なし、共産党なし、国際連盟なし


 広島の広島平和記念資料館は1955年に開館しています。1945年の原爆投下から10年後です。終戦7年間は占領軍の検閲によって原爆を語ることはタブーになっていましたから、日本の主権回復後に即建てたといえます。

 南京の南京虐殺記念館はどうでしょう。
 南京事変 1937年 -> 記念館オープン1985年

 50年近い月日が経ってから記念館が建てられています。広島の市民感覚からすればウソでしょ、という感じです。南京市民に記憶があり、市民が望んで建てたものではなく、中共の愛国思想教育によって建てられたものなのです。
 
 東京の世田谷区ほどの広さの南京城内に30万の死体があれば死体だらけですが、誰もそのような死体を見たものはいません。広島は原子爆弾投下後、死体だらけで見たい人は大勢います。広島はその日に写真が撮られています。当時、南京には多くの報道陣がおり、戦闘による死体の写真はありますが、大虐殺といわれる写真はありません。

 南京事変から8年後の昭和20年の12月13日に上海の「大広報」は南京で死者に供物を捧げ故人を追慕する人がほとんど居ないことに対し不思議がって「蒋介石集団は日寇の罪行を調査した時、(虐殺は)50万という見積もり数字を提出したではないか。それがわずか『数件』の供養とはどうしたことか」と報じました。広島大虐殺にあてはめると原爆投下後8年といえば昭和28年です。この頃、私は生まれていませんし、両親も広島の人ではないので犠牲者の供養をどうしていたか聞くことはできませんが、昭和30年に広島平和記念資料館がオープンしたことを考えると知る人に聞くまでもないでしょう。

 ちょっと考えただけで南京虐殺というのがホラ話であることがわかります。

 南京虐殺というのは中華民国蒋介石政府)の宣伝部顧問だったティンパーリーがでっち上げで書いた本をもとに戦後、東京裁判で取り上げて更に誇張し、真相箱で日本国民に宣伝したものだったのです。後に朝日新聞本多勝一記者が『中国の旅』で蒸し返し、中共が愛国教育と外交に利用しているのです。中共南京虐殺が登場したのは1981年になってからです。『中国の旅』の中国語版を読んで知ったという中共人がほとんどで、それまでは教科書で国民党が30万殺した、と教えていたのです。

 広島人は南京虐殺というのはホラ話であることをよく知っておきましょう。歴史を捏造して原爆投下を正当化させようとする彼らの意図を読み取りましょう。今こそ真の歴史を知り、歴史を捏造して利益を得る輩へ「真実」を持って反撃です。



参考文献
 「日本よ、『歴史力』を磨け」櫻井よし子編
 オークラ出版チベット大虐殺の真実」『チベット問題と北京オリンピック』若杉大
 「南京事件の総括」田中正明
参考サイト
 WikiPedia南京大虐殺紀念館」「広島市への原子爆弾投下」「広島平和記念資料館



添付写真
 南京市民と親しむ様子を報じた当時の新聞「きのうの敵に温情」朝日新聞・昭和12年12月22日 「南京は微笑む」朝日新聞・昭和12年12月25日  日新報道「南京の真相」より


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