ダーディン記者が見た南京

 1937年の南京事件を世界に伝えたといわれる「ニューヨーク・タイムズ」のダーディン記者は南京城内の日本軍の暴行を記事にしていますが、これは表の顔は南京大学教授、国際委員会で裏の顔は国民党政府顧問であったベイツ教授のレポートをもとにして書いたようです。


 このダーディン氏を都新聞の小池秋羊記者が南京城内で目撃しています。


 中央ロータリーから少し離れた中正路の奥のほうから火事が起こり、誰一人いない空き家街は黒煙に包まれ、消化する人もいないままに、燃え募って、いっそう凄まじさを拡大していました。そこへ二台の自動車に分乗した外人たちがやってきて、街を縦横に疾駆して、パチパチとカメラのシャッターを切っていました。そして、彼らは一応の取材をすると疾風のように現場を去っていきました。
 後になってこの一行は、南京における日本軍の蛮行、というスクープを打電した『ニューヨークタイムズ』のティルマン・ダーディン記者であったらしいことがわかりました。それにしても敵地に等しい戦場へ、一分のスキも与えず乗り込んできた報道記者の勇敢な行動に、私たちは頭が下がる気持ちでした。

 ダーディン記者は12月15日まで南京におり「日本軍は遠慮会釈の無い暴虐行為」「民間人、とくに消防士、警官もしばしば日本軍の犠牲となった」「中国人女性もまた日本兵のなぶりものになった」「2万人の中国軍人が処刑された」と翌年の1月9日に書いています。しかし、同じ頃、南京にいた日本人記者や日本兵にはダーディン氏のいうようなことを見たものはいません。(シナ敗残兵の処刑は一部の日本人も見ている)
 
 ネットを探していると古森義久氏(ジャーナリスト)が1989年にダーディン記者にインタビューした記事(文藝春秋89.10)を見つけることができます。しかし、ダーディン氏は妙なことを言っています。

「日本軍は上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかったからです。上海付近では日本軍の戦いを何度もみたけれども、民間人をやたらに殺すということはなかった。漢口市内では日本軍は中国人を処刑したが、それでも規模はごく小さかった。南京はそれまでの日本軍の行動パターンとは違っていたのです。南京市民にとっても、それはまったく予期せぬ事態でした」

 − 日本軍はなぜとくに南京だけでそうした虐殺のような行動をとったのでしょうか

「日本軍の上層部がそういう残虐行為を首都で誇示すれば、中国側を恐怖におののかせ、おびえさせ、蒋介石総統を降伏へと追い込めるのではないかと考えていた」

 上記はダーディン氏は推測と断って述べています。この推測は当たっていないと思います。司令部が虐殺を指示した事実はなく、逆に軍紀を厳しくし、シナ人を大切にするように指示が出ています。南京戦の特異性については別途書きたいと思います。

 ダーディン氏はいったい何をみたのか。そしてベイツ教授の宣伝レポートがいかほど影響を与えたのか。ダーディン氏は後に回想で下関(シャーカン)の大量死体は日本軍の殺戮ではなく、支那の督戦隊のものだったと述べています。彼がほんとうに言いたかったことは兵士をほっぽらかしてトンズラした蒋介石と唐将軍の無責任さではなかったか。そしてその無責任さが起した悲劇の大きさを語るのに支那兵が南京城内で起した略奪と殺戮に加えてベイツ教授の宣伝レポートを入れたのではなかったのか、と思うのです。



参考文献
 「南京大虐殺まぼろし」鈴木明著
 「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道
 「『南京事件』日本人48人の証言」阿羅健一著
参考サイト
 南京事件を世界に知らせた男 http://www.history.gr.jp/~nanking/dathin.html


広島ブログ クリックで応援お願いします。