インドネシアの軍政

軍政は悪だったのか?


 大東亜戦争中、日本軍はインドネシアに軍政を敷きました。戦後、日本人は日本悪玉論を刷り込まれたので、「軍政」というと悪いイメージを持つでしょうし、村山談話にあるような「アジアの人を苦しめた」というアジア全域を指すかのようなトリックにも影響を受けているでしょう。

 インドネシアの軍政ではオランダ統治時代に迫害されていたイスラム教を認めています。そして教育改革を行い、学校をつくり、インドネシア語公用語とし、日本語も教えます。PETAという郷土防衛義勇軍を組織します。参議会を作って行政や議会運営を学ばせるなど行っています。

 意外なことにこの軍政は英国が評価しています。英軍作成の「対日戦争史、第五巻、日本の降伏」「マウントバッテン東南アジア連合軍司令官報告書」から名越二荒之助氏(故人)が以下のように紹介しています。


(1)日本軍はアジア諸民族の眼前で、彼らがとてもかなわぬと思っていた欧米軍を一挙に撃破した。
(2)とても独立の意志も能力もないと思っていた植民地民族を、戦争中の短期間に組織し、訓練し、強烈な愛国心をかきたて、軍事力も行政力も見違えるばかりに変貌させた。いわゆる「魔術的変化」を遂げさせた。このことは、当時の連合軍の誰も予想できないことであった。
(3)日本軍は敗戦すると連合軍との間に交わされた停戦協定に基づいて、武器は全部連合軍に引き渡すことになっていた。ところが日本軍は、インドネシア軍に「武器が奪われた」と称して、巧妙に裏で武器を渡した。それによって、これまで「猫」のようにおとなしかったインドネシア人が「虎」に変身し、遂に独立を達成したのである。

 敵国が好評価しているのですから驚きです。もちろん軍政は良い点ばかりでなく、物資の欠乏など庶民では不平不満も多かったようです。

M・ユスフ・ドノディプロ氏(元外交官、大東亜戦争中は日本軍政監部宣伝部やラジオ放送部に勤務)
「日本軍が来てからは、生活はオランダ時代より貧しくなっていきました。特に村が厳しかったです。
 布が不足して、女性は木の葉で作ったスカートをはいていました。わたしもシャツがなくて、カーテンの生地でシャツを作りました。
 いい品物は日本人に渡りました。米も良い米は日本人が食べます。わたしたちインドネシア人には少々臭いのする古い米が回ってきました。
 そこで、戦時中は日曜日になるとわたしは医学生の友人と闇米を買いに出かけるのですが、表通りは避けていきました。闇米を持って表通りを行けば、日本の憲兵に呼び止められて没収されてしまいますから」

 
 こういった物資欠乏、という負の面もあるわけですが、以下のような話もあります。
同氏「日本はインドネシアの経済にまでは手が回りませんでした。日本時代、インドネシア人には砂糖は少ししかありませんでした。砂糖は専ら日本人に配給されました。
 しかし、PETA(郷土防衛義勇軍)では教官たち(日本軍人教官)は、インドネシア人の教え子たちと同じ食事を同じテーブルで取っていました。この様なことはオランダ時代にあり得ないことでした」

 オランダ統治時代と相対的に見た評価も加わっています。

 こういった諸評価ありますが、やはりインドネシア人には「独立」の念が強く、これに作用する政策が最も良い評価を受けています。インドネシアのアラムシャというユニークな名前の将軍がいますが、この人もだいたい、英国の評価と同じ評価を持っており、昭和62年に来日した際に中曽根首相、福田元首相、塩川文部相(しお爺)に突っ込んだ意見を述べています。
 
「日本軍の軍政が良かった。近き将来に独立したときの大統領としてスカルノを、そして副大統領としてハッタを当てると公表して大切に取り扱った・・・」

政府レベルでこういった話が出ていたのですね。なのに「アジアを苦しめた」と全面悪のようにしか語られません。いったいいつまでバカの行進が続くのでしょうか。



参考文献
 「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
 「世界が愛した日本」四條たか子著
 桜の花出版編集部「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実」
 
添付画像
 インドネシアの指導者と日本軍人(PD)

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インドネシア独立戦争
http://www.youtube.com/watch?v=HPWS4h3WmI4