日朝修好通商条約は不平等なのか

経緯を無視する歴史記述。


 梅田正巳著「近代日本の戦争」では明治9年(1876年)の日朝修好条規を「日本が外国と結ばされた条約を上回る不平等条約でした」と述べています。

P59


 前述の江華島事件のよく1876(明治9)年、日本は黒田清隆が全権大使となり、6隻の艦船に数百の兵員を乗せて江華島に乗り込み、日朝修好条規の条約を強要します。釜山、仁川、元山の三港の開港と自由貿易、そこでの居留地の設定と領事裁判権の承認、輸出入品への関税はすべて免除する、そしてなんと日本の通貨の流通を認めさせるなど、日本が外国と結ばされた条約を上回る不平等な条約でした。

 この項は「田母神論文」の「相手国の了承を得ないで(得て)」「国際法上合法的/条約等に基づいて」の出兵、駐屯だったか、を検証しているので、多くの字数を割けなかったのかもしれませんが、これもそれまでの歴史的背景、経緯を無視しています。日本と朝鮮は既に交易があったのです。

>日朝修好条規の条約を強要します

 李朝側はなぜ条約を拒んだのか?既に日本との交易があったので、これまでの交隣関係を持続するとの確認をとれば条約など必要ないではないか、という疑問を提起しています。この背景があるのとないのとでは「強要」の受け取り方も全くことなるでしょう。李朝は「開国しない、交易しない」と言っているわけではないのです。※1
 

領事裁判権の承認

 これも徳川時代には、朝鮮で罪を犯した日本人は和館館守に引き渡され、犯人は身分に応じて館守が裁くか、対馬に送還されて藩主が藩の法規慣例に従って直裁する慣わしでした。だから李朝側はすんなり認めたのです。※2
 

>輸出入品への関税はすべて免除

 これは双方の輸出入について免税なので平等です。ただし、これは国力のあるほうが有利になります。李朝側はおそらくそれを知らなかったでしょう。日本側は開国して辛酸をなめているから知っていたはずです。これは外交交渉だから長けているほうが有利になります。仕方がありません。不平等なのではなく、有利不利の話です。また、この後の交渉で税率を定めることになっています。※1


>日本の通貨の流通を認めさせる

 ここを梅田氏が強調していますが、なぜ不平等(不利?)になるのか理由が書いていないのでなんともいえませんが、片務規定であり、流通すれば日本の中央銀行の影響を受けるということでしょうか。ただ李朝は条約交渉時にこだわりを見せていません。

 
 尚、李朝は条約締結に対して過激な反対意見を出した4名の重臣を更迭しています。※1 朝鮮に不利な条約であってもその原因を一方的に日本に押し付けるように記述するのは「日本憎し」のなせる技でしょう。



※1 文春新書「韓国併合への道」呉善花著 を参考
※2 展転社大東亜戦争への道」中村 粲著 を参考

添付画像
 条約締結の情景(PD)

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