トアン、テレマカシ 〜 インドネシア

八紘一宇の精神。


 大東亜戦争序盤の昭和17年(1942年)3月1日、日本軍はインドネシアのバンタム湾からジャワ島へ上陸します。しかし、道路を通ろうにも両脇のタマリンドという豆科植物の高い木々が爆破され路上に倒されており、自動車や馬はもちろん歩兵も進みが悪くなります。このとき、意外なことが起こり、原住民が何百人も現れ、蛮刀でタマリンドの枝を切り払いはじめたのです。これで通りがよくなりますが、驚いたことにある程度進むとタマリンドの木が一本も倒れていないようになりました。連合軍は住民を使って木を倒させましたが、住民は連合軍が皆行ってしまった後は木を倒すのをやめたのです。
 
 日本軍16軍司令官今村中将は小休止していると、原住民がゾロゾロと集まってきて椰子の実を日本兵に飲ませたり、バナナ、パパイヤを日本兵に渡して食べさせている光景を目の当たりにします。日本兵がお礼のためタバコ、乾パン、チョコレートを渡すと彼らは笑顔を見せます。

「トアン、テレマカシ!」

 彼らは口々に連呼し今村司令官は三好通訳官に「あれはなんと言っているのかね」と訊ねます。三好通訳官は「だんな様有難うの意味です。普通はただテレマカシだけでいいのですが、あなたという敬語のトアンをつけて言っています」と答えます。
 
 今度は村の長老らしい人が現れ、親指をたてて何か言っています。三好通訳官が通訳します。

「親指をたてるのは”良いこと”の意味の表現だそうです。よくいらっしゃいましたというつもりのようです。そしていうには、インドネシアでは幾百年もの昔からの伝説で、いつか北方からおなじ人種がやってきて、インドネシアの自由を取り戻してくれると語り伝えられていますが、トアンたちと同じ人種なのでしょうか。言葉は違うが、様子が同じように見えます・・・と聞いています」

 今村司令官は通訳を通じてこう伝えます。
「われわれ日本民族の祖先の中には、こっちの島から船で日本へ渡ってきたものがいる。君たちと日本人は兄弟なのだ。われわれは、君たちの自由が戻るようにするために、オランダ人と戦うのだ、といってくれたまえ」

 村の長老
「トアン、ブッサール、テレマカシ(大だんな様ありがとうございます)」

 今村司令官のこれらの言葉の中には八紘一宇の精神が見られ、後に発した「布告第一号」にもそれが表れています。
 
一、日本人とインドネシア人は同祖同族である。

一、日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする。

一、同一家族・同胞主義に則って軍政を実施する。

 こうした今村司令官の緩和政策には反対の声も多かったものの今村司令官は「”八紘一宇”とは同一家族同胞主義であるのに、何か侵略主義のように観念されている」として突っぱね、緩和政策で軍政を実行しました。
 今村司令官は8ヶ月余りしかインドネシアにいませんでしたが、終戦後、戦犯容疑としてインドネシアに収監されたとき、インドネシア人囚人たちは「愛国行進曲」「海行かば」「八重汐」「支那の夜」を各房から大合唱し歓迎しました。このとき現地ではインドネシア義勇軍とオランダ軍が交戦しており、今村に死刑判決が下された場合に実行する「今村奪還作戦」まで練られていました。今村均の八紘一宇の精神がインドネシア人に通じていたのでしょう。



参考文献
 「陸軍大将今村均」秋永芳郎著
 「責任 ラバウルの将軍今村均」角田房子著
 「世界が愛した日本」四條たか子著
 
添付画像
 今村均(PD)

広島ブログ クリックで応援お願いします。



ムルデカ 17805 インドネシア独立と日本軍兵士
http://www.youtube.com/watch?v=3Q_4DuH1K08