牡丹社事件、アサヒる?

アサヒりましたか?


 梅田正巳著「近代日本の戦争」では1874年(明治6年)の台湾出兵について述べています。(P31)この中で牡丹社事件をあげています。牡丹社事件宮古島の船が漂流して台湾に流れ着いて、原住民に54人が殺害される事件です。この事件について現地で伝えられてきた事件のいきさつを朝日新聞の記事を引用しています。

「先住民は疲れきった琉球の漂着民をイモ汁でもてなしたが、言葉も通じずに逃げ出した。その後、先住民に見つかった琉球人は敵とみなされて次々にクビを切られた」

 どうもこのあたりはアサヒっているような気がしてなりません。言葉が通じなかったらなぜ逃げるのか。逃げただけで敵と見なされる?実際言い伝えなので曖昧になっているのかもしれませんが・・・

 梅田氏が続けて記述
「かろうじて生き延びた残りの12名は漢族の有力者に救助され、台湾海峡の対岸、福州にある琉球館に送り届けられ翌年6月には琉球からの船で那覇に戻りました」

 漢人が救助したと書いています。

 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄
牡丹社事件は1871年、琉球宮古島の朝献船が暴風に流され、遠く台湾東南部の八瑶湾に漂着したことから始まる。原住民パイワン族は、漂着した琉球人を仇敵の漢人と間違えて、乗組員54人を殺害してしまったのである。生存者12名は命からがら漢人集落まで逃走し、福州へ映され、翌年6月那覇へと送還された」

 ほら「仇敵の漢人と間違えて」となっています。朝日の記事にはありません。ちゃんとした文献から引用すればよいものをわざわざ朝日新聞の記事を使って、続けて自分で言葉をつなげているところが不自然で解せないところです。漢人を悪者にしたくないし、清の実効支配が及んでいないことを知られたくない・・・やっぱりアサヒっている?梅田氏はP35で「台湾が清国の統治機構の中に組み込まれていたことに違いはないのです」と書いており、これに都合の悪いことは書かないようにした可能性が高いです。
 
 この頃の台湾は清の福建省に組みこまれていましたが、「三年一小反、五年一大乱」という具合に住民の氾濫が頻発しており、清は外来政権であり、掠奪するだけでした。というのもオランダに占領されないようにという理由の消極的支配であり、官吏の質が悪かったためです。そして「化外の血」と呼ばれ清の版図外の野蛮な地と見なされていたのです。※1

※1 扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄著を参考


添付画像
 台湾出兵(PD)

広島ブログ クリックで応援お願いします。