今村均とスカルノ

日本と深い縁があるスカルノ元大統領。


 大東亜戦争中、インドネシアは日本軍16軍がオランダら連合軍を打ち負かし、軍政を敷きました。このとき、インドネシア国民党の指導者、スカルノ政治犯としてスマトラ島のベンクルに流刑となっていました。そうするとインドネシア人からスカルノを監獄から救出するよう嘆願書がくるようになります。16軍司令官今村中将はスカルノ救出を決断し指示します。
 今村司令官はスカルノと会談し、こう述べます。
 
「私がいまインドネシア6千万民衆に公然と約束できることは、私の行う軍政により、蘭印政権時代の政治よりもよい政治と、福祉の招来です。ですから、あなたが日本軍に協力するか、中立的立場をとって何もしないで形勢を傍観しているかは、どちらも随意です。後者の場合でも、軍はあなたの生命財産と名誉とを完全に保護いたします。べつに急ぐ必要はありません。よく同志の人々とご相談の上、はっきりした態度を決めてください」

 数日後、スカルノが今村司令官を訪れこう述べます。
「あれから同志たちとも相談しましたが、閣下が、日本軍政はオランダ政権時代よりも、インドネシアの福祉を増進することを約束されましたので、私どもはこれを信用し、私と同志は、日本軍政に協力することにしました」

 こうして、今村司令官はスカルノに活動資金をわたし、行政諮詢(しじゅん)院を設置し、日本人、インドネシア人で軍政を進めていくことになります。スカルノは独立の早道は日本と協働することだと考え、今村司令官は軍政の安定のためにスカルノは必要だと考え、両者の利害が一致したわけです。さらにそれだけではなく双方に通じ合うものがあったと思います。戦後、スカルノは今村司令官が戦犯としてインドネシアに収監されたとき、奪還計画をたて、刑務所内のスパイを通じて今村に計画を伝えています。敗戦した日本は無力で今村の価値などありません。利害だけならこのようなことは考えないでしょう。
 
スカルノ自伝
「今村大将は本当のサムライだった。・・・紳士的で丁重で、気品があった」

デヴィ夫人談(スカルノ元大統領夫人)
「(スカルノは)今村均司令官を大変に尊敬していらっしゃって、今村司令官のことを『本物のサムライだ』とおっしゃっていました。
 今村司令官は、大東亜戦争のはじめにインドネシアに攻め込んだとき、350年間もインドネシアを支配していたオランダをたったの9日間で降伏させてしまいました。しかも、オランダ軍司令官があったバンドンに向かった兵士は少数しかいなかったのに大部隊がいると思わせて『降伏しなければ大攻撃を仕掛ける』と迫ったといいます。スカルノ大統領はその話を聞いて、舌を巻いたそうです。
 戦後、今村司令官は戦争犯罪を問われてジャカルタで軍事裁判にかけられたことがありましたが、当時独立軍を指揮していたスカルノ大統領は、今村司令官が死刑になるかもしれないと聞くと、そこから奪還しようという計画を立てました」

 
 スカルノ大統領と今村司令官は戦後の昭和39年(1964年)に東京の帝国ホテルで再会を果たしています。このときデヴィ夫人も同席しています。デヴィ夫人スカルノ大統領の今村司令官への信頼は終世変わらなかった、と述べています。



参考文献
 「陸軍大将今村均」秋永芳郎著
 「責任 ラバウルの将軍今村均」角田房子著
 桜の花出版編集部「インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実」
参考サイト
 WikiPediaスカルノ

添付画像
 スカルノ大統領 1949年 PD

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