外国人記者たちは南京大虐殺を見ていない

誰も見ていない南京大虐殺




 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で日本軍による民間人を含めた大虐殺が行われたと言われています。それを報じたのがニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏とシカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール記者ですが、両者は自分の眼で大虐殺を見たわけではありませんでした。

 当時南京にいた外国人記者は「パラマウント・ニュース映画」のアーサー・メンケン氏、「ロイター通信」のスミス氏、「AP通信」のマクダニエル氏がいました。

 1938年1月14日世界日報 ロイター社スミス記者目撃談
「(12月)13日午後1時、南京城の大部分が日本軍に占領された。しかし北部はまだ中国軍の守るところだった。日本軍が城北に達したのは15日の朝であった。中国軍は完全に首都を放棄した」

1日のうちに平均1万以上の虐殺があったと言われるのに、何も言っていません。

 1937年12月17日 ワシントン・ポスト
アメリカ砲艦オアフから、日本の南京占領についての目撃者の第一報が届いた。パラマウント・ニュース映画のカメラマン、アーサー・メンケンは、かつての繁栄の都は、残虐な日本軍の陸・空からの攻撃による兵士・市民の死体が散乱する流血の巷と化していた、と無線で報告してきた」

戦闘による死者を報告しています。市民のほとんどは安全区という非武装地帯(ではなかった)におり、日本軍は攻撃していません。逃げ遅れた市民が戦闘の巻き添えを食ったということです。

 APのマクダニエル記者も「私の見た死者は戦死者であった。中国兵、日本兵ともに掠奪した。日本は安全区を守り、ここには攻撃を加えなかった」と書いており大虐殺など伝えていません。

 ロイターのスミス記者は15日にオアフ号で南京を離れました。その後、南京戦について講演を行っています。日付はわかりませんが、南京陥落の13日については次のように述べています。

「12月13日の朝、通りにはまだ日本軍の姿はありませんでした。町の南部は依然として中国軍の支配下にあったのです。中華門のあたりでは、夜、すさまじい戦闘がくりひろげられました。戦死した中国人は千人以上にのぼります。
 12月13日の夜になると、中国兵や民間人は略奪を始めました。まず襲われたのは食料品店です。一般の民家からも兵士が食料を持って出てくる光景が見られました」

 中華門の激戦は11日のことを言っていると思われます。13日夜の支那兵の略奪は12日夜の誤りと思われます。日本軍は夜間は外出禁止でしたから13日夜に隠れていた支那兵が略奪したのかもしれませんが。

「記者仲間のマクダニエル氏が、日本軍のパトロール隊を見かけました。かれらは6人から12人ぐらいで一団となり、メインストリートをゆっくり注意深く進んで行きました。ときたま銃声が鳴り響き、あちこちに市民が倒れていました。日本軍にいわせると、逃げようとして撃たれたというのです」

戦闘中ですから、逃げれば怪しいとみて撃つことはあります。また、市民といっても平服に着替えた便衣兵かもしれません。これらは日本兵が市民めがけて大虐殺をしたわけではありません。

「12月14日の朝になっても、日本兵は市民に危害を加えませんでした。しかし昼ごろになると、6人から10人ぐらいで徒党を組んだ日本兵の姿があちこちで見られるようになりました連隊徽章をはずしていて、家から家へと略奪を繰り返しました」

女性の靴ひとつ拾っても罰せられるくらい軍紀は厳しかったので略奪は考えにくく、支那兵が隠れていないか家を捜索していたのではないかと思います。あるいは徴発が考えられます。家のものが留守の場合は、受領証、借用証などをおいていきます。とにかく14日は大虐殺は見ていません。連隊徽章をはずしていたのは防諜対策で、部隊の居場所が敵のスパイに知られると困るからです。出征兵士はすべてそうします。

「12月15日、外国の記者団が南京から上海に向かう日本の軍艦に乗せてもらうことになりました・・・広場で日本軍が中国人を縛り上げ、立たせている光景でした。順次、引き立てられ、銃殺されました」

これはオアフ号に乗船したニューヨーク・タイムズのF・ティルマン・ダーディン氏とシカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール記者も同じように目撃しています。見られて困るようなものではなかったということです。スミス記者は中国人としか書いていませんが、敗残兵、便衣兵です。戦闘は終わっていませんから、敗残兵は正規の手続きを踏んで降伏しなければ、捕虜の扱いになりません。合法的処刑です。便衣兵国際法上まったく保護されません。合法的処刑です。

 南京大虐殺は南京陥落後、3週間にわたり行われ、特に最初の3日間に集中したと言われていますが、その3日間、5人の外国人記者の中で実際に大虐殺を目撃した人はゼロです。



参考文献
 青木書店「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」南京事件調査研究会(編訳)
 草思社南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道(著)
 講談社文庫「南京の真実ジョン・ラーベ(著)
 文教出版「真相・南京事件 − ラーベ日記を検証して」畝本正己 (著)
 小学館文庫「『南京事件』の総括」田中正明(著)

添付画像
 陥落2日後、野菜を売っている様子。大虐殺があったとされる日であるが、なんのこっちゃ。
 水間政憲(著)「ひと目でわかる 日韓・日中歴史の真実」より 佐藤振寿カメラマンが撮影

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