ダーディン記者は南京大虐殺を見たのか

ダーディン自身は南京大虐殺を見ていなかった。




 昭和12年(1937年)12月、支那事変の南京戦で南京大虐殺があったと世界に知らせたとなっているのはニューヨーク・タイムズ紙記者のF・ティルマン・ダーディン氏です。ダーディンは南京大虐殺を見たのでしょうか。

 ダーディンは12月15日まで南京にいました。ですので南京陥落13〜15日の間に大虐殺を見たことになります。ダーディンは南京を去るとき、国際委員会のベイツ教授に車で港まで車で送ってもらっています。ベイツ教授は国民党顧問です。国際委員会はみな国民党よりで反日です。ベイツ教授は自分の書いたメモをダーディンに渡しました。東中野修道(著)「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」で、ベイツメモとダーディン記事の比較を行っており、表現の違いはあれどほぼ内容が一致しています。原資料からいくつか引用してみます。

 ベイツメモ
「しかるに日本軍の入場後、二日間にして我々の希望のすべては無慙(むざん)にも破れてしまった、絶えざる虐殺、大規模の計画的略奪、家宅侵入、婦女陵辱等一切はすべて無統制であった。外国人居留民は事実その眼で路上に充満する良民の死体を見た」

 ダーディン記事
「ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、成年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した」

 ベイツメモ
「日本軍は中国の警官を脅迫して難民区の中から四百人の難民を引っ張り出し、五十人を単位に一列に並ばせ、小銃、機関銃で背後から威脅しつつ引いて行った。その運命や知るべきである」

 ダーディン記事
「安全区の中にある建物からは、400人の男性が逮捕された。彼らは50人ずつ数珠繋ぎに縛りあげられ、小銃兵や機関銃兵の隊列にはさまれて、処刑場に連行されて行った」

 ただ、ダーディン記者は単純にベイツメモをすべてそのまま利用したとは言い切れず、そのもとは諸々の未確認情報がもとになっている部分もありそうです。

 ベイツメモ
「日本軍は鼓楼病院職員から金銭および時計を、また看護婦の宿舎にあった物品を強奪した」

 ダーディン記事
アメリカ伝道団の大学病院の職員は、現金と時計を奪われた。ほかに、看護婦の宿舎からも品物が持ち去られた」

この記事のおおもとになっているのはベイツらの国際委員会が日本当局に提出した記録です。

「第六件 12月14日、約三十名の日本兵が鼓楼病院と看護婦宿舎を捜査した。院内の職員はことごとく掠奪に遭った。万年筆6本、法幣180元、時計4個、繃帯(ほうたい)二包、懐中電灯二、手袋二、毛糸シャツ一」

 国際委員会が日本へ訴え出ているのはほとんど確認されていないものばかりで、収容所に入りたいための支那人の嘘の被害主張や流言などで、これらを直接、ダーディンが聞いていた可能性はあります。

 ではこの3日間、殺人はどれだけあったか?安全区の記録をデータベースに登録し集計した冨澤繁信(著)「南京事件の核心」によると数字は以下の通りです。

 12月13日 0件
 12月14日 1件
 12月15日 4件

全部で5件です。目撃者が判明した殺人事件はゼロです。ベイツは安全区以外は「無人地帯」(「戦争とは何か」から)と言っていますから、安全区の事件が南京事件のすべてです。つまりベイツを含む国際委員会のメンバーは殺人を見ていません。東京裁判でも国際委員会のメンバーが殺人を見たと証言したのはマギー牧師が17日に1件だけで、事件は合法です。他はクレーガーとハッツが1月9日に便衣兵の処刑を見たのが1件だけで、これも合法です。15日以前は誰も見ていないのにダーディンだけが大量殺人を見たとは考えられません。ベイツさえも見ていないメモの通り記事にしただけと言えます。

 ただ、ダーディンは船で南京を去る際、200人の男性が処刑されるのを見ています。これは支那の敗残兵、便衣兵です。日本軍兵士の65連隊の記録を見ても「揚子江岸に捕虜の銃殺を見る」という記載が見られます。同じものかは断定できませんが、ダーディンも見たのでしょう。15日はまだ戦闘が終わっていませんから、敗残兵の処刑は合法であり、便衣兵の処刑は常に合法です。彼らは武器を隠し持って安全区に隠れています。ダーディンが見たのはこれだけと言えます。



参考文献
 青木書店「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」南京事件調査研究会(編訳)
 草思社南京事件 国民党極秘文書から読み解く」東中野修道(著)
 評伝社「外国人の見た日本軍の暴行」ティンバーリイ(原著) 訳者不詳
 河出書房新社日中戦争資料集<9>」日中戦争史資料編集委員会(編)
 展転社「データベースによる事件の解明 南京事件の核心」冨澤繁信(著)
 大月書店「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」小野賢二・藤原彰本多勝一(編)
 明成社「再審『南京大虐殺』 世界に訴える日本の冤罪」竹本忠雄・大原康男(共著)

添付画像
 陥落2日後の南京。大虐殺があったとされる日である。日本兵が水餃子を食べている。 水間政憲(著)「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」より佐藤振寿カメラマン撮影。

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