無人地帯で南京大虐殺は不可能

人がいないのに大虐殺などできない。




 昭和12年(1937年)8月13日、支那軍が上海の日本海軍陸戦隊を攻撃し、第二次上海事変が勃発しました。支那軍は3万、日本海軍陸戦隊はわずか4千。日本は陸軍を派遣します。戦闘は大激戦となり、11月5日の日本第十軍の杭州湾上陸により、ようやく転機が訪れ、支那軍は敗走に向かいます。そして南京へと追撃戦となりました。

 敗走する支那軍は匪賊となり、民間人を襲いました。

 蒋介石日記(11月30日総括)
「抗戦の果てに東南の豊かな地域が敗残兵の略奪場と化してしまった。戦争前には思いもよらなかった事態だ。(中略) 敗れたときの計画を先に立てるべきだった。撤兵時の略奪強姦など軍規逸脱のすさまじさにつき、世の軍事家が予防を考えるよう望むのみだ」

 支那軍は退却時、通過した村を焼きはらって、建物や食料を日本軍に使わせないようにするのです。焦土作戦あるいは清野作戦といいます。南京の郊外から市街へ難民が移動していきました。

 金陵女子大 ミニー・ヴォートリン女史 12月6日
「UP(AP)特派員のマクダニエルが今日話してくれたところでは、きのう句容に行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの焦土作戦だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている」

 南京市街は11月になって難民が押し寄せてきましたが、その後、日本軍が南京へ進撃してくると市街からも脱出していくようになります。

 金陵大学 スマイス教授報告 11月初旬の人口
「一年前、南京市の人口はちょうど100万を越したところであった。この数字は8月・9月にかけて急減し、11月初旬にまた50万近くに戻った」

 11月に難民が押し寄せてきたことがわかります。

 笠原十九司南京事件」 11月23日中国抗日戦争史学会編「南京大虐殺」 南京市政府(馬超俊市長)が国民政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡
「調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50万余である。将来は、およそ20万人と予想される難民のための食料送付が必要である」

 南京の状況 米大使館アチソン書記官 本国宛報告 11月27日付
「市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと」

 27日付けですから25日近辺で市長から聞いたものと思われます。どんどん南京から市民が去っていったことがわかります。日本軍は25日には上海と南京の中間あたりに進出しています。

 安全区国際委員会委員長ラーベ 11月28日の日記
警察庁の王固盤は、南京には中国人がまだ二十万人が住んでいるとくりかえした」

 更に減少しています。食料の確保や治安維持面で行政は人口の把握は不可欠でした。混乱の中、正確な把握は無理としても推測する手法は持っていたと思われます。そして難民はジョン・ラーベを委員長とし、外国人で構成される「南京安全区国際委員会」が管理する中立地帯である安全区に避難しました。

 金陵大学 スマイス教授報告冒頭
「市の陥落当時(十二月十二〜十三日)の人口は二十万人から二十五万人であった」

 13日に日本軍は南京を陥落させました。そのとき、市民は安全区に集中しました。南京防衛軍は城外に脱出するか、安全区の中に逃げ込んだのです。南京城内の安全区外、南京城外は無人地帯となっていました。日本軍は南京城内に入り掃討戦を開始しますが、無人の中の掃討戦でした。

 歩兵19連隊第四中隊長 土屋正治 光華門より入城
「市街に深く進入すればするほど、まさに『死の街』という感じを深くした。敵弾の飛来はもちろん、人影一つ見えず、粛然とした軒並のみが果てしなく続いていた」

 報知新聞 二村次郎カメラマン 中華門より入城
「中国人は誰もいませんでした」

 掃討戦と称して日本軍が大挙乱入して大虐殺を繰り広げたなんてことは考えられないのです。入城する部隊は限られており、入城しても市民も支那兵も誰もいなかったのですから。市民と衣服を着替えて隠れた支那兵がいる安全区を担当したのは12月24日まで第九師団の第7連隊です。約1600名です。他の部隊は安全区に入ることはできませんでした。1600名の第7連隊が安全区にいる20万人を皆殺しにすることなどありえません。




参考文献
 小学館日中戦争はドイツが仕組んだ」阿羅健一(著)
 日新報道「南京の実相」日本の前途と歴史教育を考える議員の会(監修)
 大月書店「南京事件の日々」ミニー・ヴォートリン(著) / 岡田良之助・伊原陽子(訳) / 笠原十九司(解説)
 日中戦争史資料〈9〉南京事件 (1973年)
 岩波新書南京事件笠原十九司(著)
 青木書店「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」南京調査研究会(編訳)
 講談社文庫「南京の真実ジョン・ラーベ(著) / エルヴィン・ヴイッケルト (編集) / 平野 卿子 (翻訳)
 展転者「南京事件の核心」冨澤繁信(著)
 偕行社「証言による南京戦史」
 小学館文庫「『南京事件』日本人48人の証言」阿羅健一(著)

添付画像
 中山門へ突進/南京城の城門中最も堅固なる中山門は、敵が最後まで死守したにも拘らず、我が猛攻によって13日遂に占領され、各部隊は勇躍敵の心臓部たる城内目指して突進して行く(1937年12月13日撮影)(PD)

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