南京の日本軍の動きでウソ証言はわかる

部隊がいないところで事件はおこらない。




 昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で南京大虐殺があったといわれますが、展転社南京事件の核心 データベースによる事件の解明」冨澤繁信(著)を見ると、非常に事件の検証がしやすくなります。当時の関係者証言や記録などをデータベースに登録し、分析するのです。国際委員会の「南京安全地帯の記録」や「ヴォートリンの日記」「ラーベの日記」「南京戦史」などなど11種類の文献が登録され、事例のデータ1038件、諸相のデータ4817件があります。展転社に問い合せて、それらをアウトプットした資料「データベース『南京事件のすべて』」も入手しました。南京戦の日本軍部隊の動きもしっかりわかり、非常に便利です。部隊の動きを把握していれば、おかしい証言はわかりますし、合致していればなるほどと解ります。

 南京での日本軍の動きと反日プロパガンダ本「戦場の街南京 松村伍長の手紙と程瑞芳日記」松岡環(編著)の中の記載をいくつか付き合わせてみます。

 元兵士・亀田徳一の証言 第十六師団歩兵第三十三連隊第二大隊 12月14日
「年寄りも男も女も子供もいっしょくたにして3,4百人ぐらい捕まえてきたんですわ。太平門の外から言うと、門の右の一角に工兵が杭を打って、それから鉄条網を張っていて、そこへこれらの支那人を入れて囲ってしまいました。その下には地雷が埋めてありましたんや。日本兵が踏まないように白い紙に『地雷』と書いてありました。そこへ捕まえてきた人を集めてきて地雷を引いてドンと爆発させましたんや」

データベースによると第33連隊第2大隊は下関門(邑(手へん付)江門)から入城し、掃討戦を開始しています。北東部一帯を掃討し、獅子山付近で敗残兵150名と戦闘後、中山路を通り市政府の建物まで来てそこに宿営しています。太平門には行っていません。大平門は第9連隊の掃討地区です。詳細を「南京戦史」と付き合わせてみましたが、第二大隊が大平門を通過したのは13日のことで城外です。敵影は見えなかったとなっています。そして下関(シャーカン)に向かうように師団命令が出ています。この証言は明らかにおかしいです。

 程瑞芳日記(金陵女子文理学院教師) 12月13日(日本軍が南京に入城した初日)
「十数人の兵隊が召力(二つで1文字)さんの家の後ろに立っていた。作業員たちは驚き慌てた。日本兵は裏の鶏を飼っているところにやって来て鶏をほしいと言った。作業員は華小姐(女学院責任者ヴォートリン)を探して呼んできた。華小姐は日本兵らに向かって食べることはできないと言った」

これは第47連隊が学院の近く五台山を掃討したときのことと合致します。「ヴォートリン日記」にもこの記載があります。ヴォートリンは「礼儀をわきまえた兵士」と書いています。

 程瑞芳日記の13日続き
「今夜、学校に駆け込んできた人は少なくない。日本兵が彼らの家にやってきて、出て行けといったからだ。日本兵達も眠らなくてはならない。これらの駆け込んで来た人達は、みな手に何も持っていない。夜具は日本兵が使うので、この人達はただ驚いてそのまま飛び出してきたのだ。これは全て安全区内のできごとだ」

この証言では第47連隊が安全区内の民家に宿営したことになってしまいます。これはありえません。連隊は城外に宿営しています。収容所に入りたいがための支那人の方便です。もしかしたら、日本兵が夜具の徴発を交渉しようとして、言葉が通じず怖かったので逃げてきただけの話かもしれません。

 元兵士・出口権次郎の証言 第33連隊第3大隊
「南京陥落の日じゃった。城内に入る時、城壁の外側が死体の山じゃった。足下がフワフワするんでマッチをつけて見たら、筵を敷いたように一面に死体がぎっしりじゃった。ずーと死んどったんじゃ。どの部隊がやったかは知らんが、突き殺したんやな。兵隊やなしに、女も子どももおった。爺さんも婆さんもおった、兵隊やないもんばっかりじゃ。新聞でよう言う“南京の虐殺”って、全く本当のことじゃが、そんなこと言えんもんで、『嘘』や言うとるんじゃ」

南京陥落の日というと13日ですから、その夜の話となります。第33連隊は下関(シャーカン)に宿営していますが、その日は城内に入っていません。邑江門は閉ざされてました。翌日、第2大隊が入城しています。第3大隊は入城していません。邑江門では戦闘はありません。大量の死体があったというのは城門の内側のところで、支那の督戦隊が城外へ脱出しようとする支那兵を大量殺戮したものです。民間人が含まれていたというならそれも督戦隊の仕業です。日本軍は関係ありません。

 まだ多くありますが、きりがありませんので、このへんにしておきます。




参考文献
 展転社南京事件の核心 データベースによる事件の解明」冨澤繁信(著)
 展転社「データベース『南京事件のすべて』」冨澤繁信(制作)
 社会評論社「戦場の街南京 松村伍長の手紙と程瑞芳日記」松岡環(編著)
 社会評論社「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて 元兵士102人の証言」松岡環(編著)
 大月書店「南京事件の日々 ミニー・ヴォートリンの日記」岡田良之助・伊原陽子(訳) / 笠原十九司(解説)
添付画像
 総攻撃前、砲を担ぎ車輪を背負い、じりじりと南京城にせまる日本の部隊(1937年12月9日撮影)(PD)

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