南京虐殺の人口トリック

20万人を30万虐殺できない。




 ホロコースト、広島・長崎の原爆とならぶ世界三大虐殺と言われてきた「南京大虐殺」ですが、陥落当時(昭和12年 1937年12月13日)の南京の人口が20万であるのに、30万殺害できるわけがないことは小学生でもわかります。なのに南京大虐殺があったあったと叫ぶ人たちがいます。この人たちは南京の人口についてどのようなトリックを使っているのでしょうか。

 岩波新書南京事件笠原十九司(著)より
「日中全面戦争勃発前の南京城区の人口は100万人以上であったが、日本海軍機の連日の空襲のために同区の人口は激減していき、37年11月初旬には50万近くになっていた(スマイス「南京における戦争被害」)。同11月23日、南京市政府(馬超俊市長)が国民政府軍事委員会後方勤務部に送付した書簡には、『調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余万である。将来は、およそ20万人と予想される難民のための食料送付が必要である』と記されている(中国抗日戦争史学会編“南京大屠殺”)。」

 スマイスというのは金陵大学の社会学教授のことで、昭和13年(1938年)3月、南京市内の50家族から1家族を選び出すサンプリング調査により南京戦の被害統計をとっています。現在のテレビの視聴率調査のやり方と思えばいいでしょう。このスマイス報告の中で昭和12年(1937年)11月初旬の南京の人口は50万と記述されており、笠原氏は市の調査でも50万で、スマイス報告は公式統計と同等に正確だとしているのです。

 スマイス報告
「一年前(1937年)、南京市の人口はちょうど100万を越したところであった。この数字は8月・9月にかけて急減し、11月初旬にまた50万近くに戻った。」

 そして笠原氏は陥落直前の南京の人口を次のように述べています。

「その後、南京城区から安全と思われた近郊農村に避難していった市民も多かったが、いっぽうでは、南京防衛軍の『清野作戦』の犠牲になった城壁付近の膨大な農民が難民となって城内に避難してきたし、日本軍の南京進戦に追われた広大な江南地域の都市、県城からの難民も移動してきた。したがって、南京攻略戦が開始されたときに、南京城区にいた市民はおよそ40〜50万であったと推測される」

 笠原氏は人口が20万に減るところを農民が押し寄せたので40〜50万と推測しているのです。ところが、笠原氏が正しいとするスマイス報告では20−25万という数字が出ているのです。

 スマイス報告冒頭
「市の陥落当時(十二月十二〜十三日)の人口は二十万人から二十五万人であった。我々が三月に行った抽出調査で報告された人員を五十倍すれば、すぐさま市部調査で表示されている二十二万千百五十人という人口数が得られる。この数は当時の住民総数のおそらく八十ないし九十パーセントを表していたものであろうし、住民の中には調査員の手の届かぬところに暮らしていたものもあった」

これがトリックで、笠原氏はスマイス報告の12月を無視したのです。立命館大学文学部教授の北村稔氏によると中華人民共和国で出版された著にもこのスマイス報告の冒頭部分はカットされているといいます。つまり陥落前は50万人にしたいのです。そして陥落後の翌年3月の人口の資料20万人近辺をとりあげて50−20=30として30万人虐殺されたとしているのです。

 南京陥落前の12月7日、支那軍は南京城外の半径16キロの村落、建物を焼き払い、日本軍に使用させないようにしました。8日には支那軍の唐生智司令長官が城内すべての非戦闘員に対して「難民区」に集結するよう布告しました。よって市民は「難民区」に集結し、それ以外はほぼ無人地帯となったのです。この難民区を管理する安全区委員会は南京の人口を20万としています。難民たちの食糧問題に頭を悩ませていた安全区委員会にとって人口を正確に把握する必要があったのです。

 20万の人口を30万殺害できません。マイナス10万になります。その後、南京の人口は増えていってますから、南京大虐殺などありえないのです。もし、南京大虐殺があったとしたなら、市民を20万殺害し、幽霊を10万殺害し、ドラゴンボールで市民を蘇らせたとしか考えられません。



参考文献
 岩波新書南京事件笠原十九司(著)
 文藝春秋「『南京事件』の探求」北村稔(著)
 明成社「再審『南京大虐殺』 世界に訴える日本の冤罪」大原康男・竹本忠雄(共著)
 日中戦争史資料〈9〉南京事件 (1973年)

添付画像
 陥落2日後の南京市民の様子。大虐殺があったとされる日である。水間政憲(著)「ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実」より佐藤振寿カメラマン撮影。
 

そのほか南京の人口に関する情報


1)米副領事エスピーの本国への報告・・・20万
2)安全区委員会ラーベ委員長のドイツ大使館への報告・・・20万。11月28日の日記には警察庁長王固盤が20万と繰り返し述べていることを記載。12月10日の日記にも「20万」とある。
3)ドイツ・フランクフルター紙の特派員リリー・アベック女史「南京脱出記」・・・「ようやく15万を数える小都市になり下がってしまった」
4)日本軍の捕虜となった張群思少佐・・・「南京衛戍の兵力数5万、非戦闘員10万」
5)日本軍の捕虜となった劉啓雄少将・・・市民数「概ね20万」
6)日本軍松井石根大将「陣中日誌」12月20日・・・「避難区に収容せられある支那人は概して細民層に属するものなるも、其数12万余に達し」
7)日本軍による居住証明書の発行・・・16万(婦女子や老人、子供除く)

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